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「孫兵衛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

孫兵衛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
陶然として即身成仏の妙境に入って了う。 夜|上利別のマッチ製軸所支配人|久禰田孫兵衛君に面会。もと小学教師をした淡路の人、真面目な若者である。二里の余もある上....
浮雲」より 著者:二葉亭四迷
を便《たよ》って出京したは明治十一年、文三が十五に成た春の事とか。 叔父は園田孫兵衛《そのだまごべえ》と言いて、文三の亡父の為めには実弟に当る男、慈悲深く、憐....
稚子法師」より 著者:国枝史郎
った。謙恭温容の君子であったので、妻子家臣の悲嘆は殆ど言語に絶したもので、征矢野孫兵衛、村上右門、知遇を受けた此両人などは、当時の国禁を窃に破って追腹を切った程....
南国太平記」より 著者:直木三十五
阪へ来た時、大阪町民は一人も相手にしなかった。一人で、六十万両を貸付けていた浜村孫兵衛が、催促しがてら、話対手になっただけであった。 調所は、自分の企画が成立....
狂歌師赤猪口兵衛」より 著者:夢野久作
ゃ、良助じゃ」 雨戸の内側はシインとして人の気はいもない。 「モシモシ。坂元の孫兵衛どん。孫兵衛どん。御座るか御座らんか。まあだ寝ておんなさるとナ……。オイオ....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
し、今は肥後へ行っている柳生家の嫡孫|兵庫とは、好敵手だといわれた者である。出淵孫兵衛もここの一役人に過ぎないが子飼いからの者で、従って、豪壮な剣をつかう男だ。....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ば……」 と、荷十郎は居合わす人々を見まわした。 亀井兵助、根来八九郎、伊藤孫兵衛、などの顔は、彼を気強くさせるものだった。そのほか、すべてで二十人足らずの....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
わたしを知ってるの」 「一昨年江戸へ行った時、二、三度落ち合ったことのあるお十夜孫兵衛だ」 「まあ……」笑いまじりに寄ってきて、「それじゃ少し啖呵が過ぎたね、早....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
茶柄の大小、銀鐺、骨太だがスラリとして、鮫緒の雪踏をはいている背恰好。 お十夜孫兵衛! きゃつだ! まぎれもなき十夜頭巾。 ――野郎、どうしてこの江戸表へ....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
でない」 「これは頼もしくない言葉。なぜ、今度の旅にアテがないと申されるか」 「孫兵衛や貴殿はいい。しかし、この周馬にとってみれば、こうまでしても、万吉や弦之丞....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
する、という申しわけだ。 そして、自身|刺客として弦之丞をつけ廻るうちに、関屋孫兵衛、旅川周馬という、ふたりの剣士にもすくなからぬ助力を得ている旨が追記してあ....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
ひとりは総髪。どちらも大名の前に出られる風姿ではない。 「もと川島郷の原士、関屋孫兵衛です」 と、待っていたように、有村がひきあわせた。 「ひとりは旅川周馬と....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
んで、気のくさくさを取って話すなら話してやろう」 新町川のそばにある浜茶屋へ、孫兵衛は黙って先に入ってしまった。 「ついてくるならついてこい、いやなら帰れ!」....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
は事実に近い。「新免家侍覚書」を見ると、戦後新免伊賀殿の内の六人衆といわれる内海孫兵衛、安積小四郎、香山半兵太、船曳杢右衛門、井戸亀右衛門、木南加賀右衛門などと....
秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
の子斑に雪の積った会津の駒ヶ岳が広い頂上を展開している。其東に連る会津境の黒岩・孫兵衛・台倉・帝釈・田代の諸山は、一様に黒い針葉樹林に包まれて、秋らしい快い日の....