宇治拾遺物語[語句情報] » 宇治拾遺物語

「宇治拾遺物語〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宇治拾遺物語の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
に焼かれたのは、それから一時間の後であった。小林君の家へゆき着いてから、わたしは宇治拾遺物語にあった絵仏師の話を思い出した。彼は芸術的満足を以って、わが家の焼け....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
と信玄を呼びかけた。 「殿には学問を好ませられ、多くの書物もご覧のことゆえ、宇治拾遺物語などは疾に承知でございましょうな?」 「さよう……」 と信玄は審し....
妖怪漫談」より 著者:岡本綺堂
総てみな怪談本といっても好いのであるが――を猟ってみると、遠くは『今昔物語』、『宇治拾遺物語』の類から、更に下って江戸の著作にあらわれている我国の怪談というもの....
火に追われて」より 著者:岡本綺堂
に焼かれたのは、それから一時間の後であった。K君の家へゆき着いてから、わたしは『宇治拾遺物語』にあった絵仏師の話を思い出した。彼は芸術的満足を以て、わが家の焼け....
時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
とは思われない。山法師が一般に悪僧」とあるのは、畢竟は名誉の勇士の義である。また宇治拾遺物語に、「むかし大太部とて、いみじき盗人の大将軍ありけり」とあるも、確か....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
われている。しばしば験者の手先になって、悪魔を追い払うことなどをもつとめている。宇治拾遺物語一、宇治殿倒れさせ給いて、実相房僧正験者にめさるる事の条に、 是も今....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
べきは、古え饗宴の給仕人の或る者を「手長」と云った事で今も寺院にはこの称がある。宇治拾遺物語「寂照上人鉢を飛ばす事」の条に、 王のたまはく、今日の斎筵は手長の役....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ので、エタまたはエッタと呼ばれた古えの河原者・浄人の徒と同じ仲間と解せられる。『宇治拾遺物語』十三に、伊吹山に籠って念仏を行じた聖の坊の下司法師原というのがある....