宮古[語句情報] » 宮古

「宮古〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

宮古の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
田舎教師」より 著者:田山花袋
の常陸丸遭難と得利寺における陸軍の戦捷とがくり返しくり返し思い出される。初瀬吉野宮古の沈没などをも考えて、「はたして最後の勝利を占めることができるだろうか」とい....
縮図」より 著者:徳田秋声
いることを話して聞かせた。式は銀子が塩釜で遊んでいるころ、仙台の神宮で行なわれ、宮古川で披露の盛宴が張られたものだった。 銀子の帰りが遅いので、分寿々廼家のお....
石狩川」より 著者:本庄陸男
妻は後から、それを追い立てるように言った、「見あやまるのも無理はない、ここは陸中宮古の港からさえ何ほど離れておりますまい」 「まず、しかしながら、武士と見られた....
往復帖」より 著者:宮本百合子
日本婦人大会について、のプリントは各新聞社にまわしたでしょうか、 吉田玉緒、宮古 鷲沼(毎日)その他は当日ちゃんと出席してくれるよう、よく連絡をとって下さい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら私刑を受けて、海中へ投げ込まれるくらいのことは、目前に起り兼ねないのだ――船が宮古へ着いた上で、相当の断罪が行われなければなるまい」 「それは、そうなければな....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
を確信して、駒井は、月ノ浦を出る時、まず蝦夷ということに腹をきめて出帆し、釜石と宮古の港に寄港して、それから函館という方針でしたが、その後の研究と思索の結果は、....
藤九郎の島」より 著者:久生十蘭
》、水夫《かこ》十二人が乗組んで南部へ米を運んだ帰り、十一月末、運賃材木を積んで宮古港を出帆、九十九里浜の沖合まで来たところで、にわかの時化《しけ》に遭った。海....
奥の海」より 著者:久生十蘭
、生死の苦しみをしているうちに、津軽、出羽、越後は平作で、陸奥の半田から銀が出、宮古の沖には捕りたてもならぬほどくじらが寄り、米大尽やくじら分限が大勢できあがっ....
鮪を食う話」より 著者:北大路魯山人
わるいとされている。まぐろの一番|美味いのは、なんといっても三陸、すなわち岩手の宮古にある岸網ものである――ということになっている。 私の経験においても、この....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
の島を琉球と呼びました。沖縄はその本島のほかに沢山の島々があって、中で久米島とか宮古島とか八重山島とかの名は、度々耳にするところであります。 日本では一番南の....
遠野物語」より 著者:柳田国男
遠野一郷の神仏の像にはこの人の作りたる者多し。 二七 早池峯より出でて東北の方|宮古の海に流れ入る川を閉伊川という。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中....
山の人生」より 著者:柳田国男
り伝えて尊信しているのである。 沖繩の『遺老説伝』には次のような話がある。「昔宮古島|川満の邑に、天仁屋大司といふ天の神女、邑の東隅なる宮森に来り寓し、遂に目....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
。 沖縄の諸島を見渡すと、タンポポの方言の今存するものは案外に乏しい。八重山と宮古との中間にある多良間という寂しい孤島では、この草をトゥルクナーというそうであ....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
名護 チョチョログワ 中頭郡|中城 マンチョウジ 平安座島 マシャガマ宮古島|平良 これ等ももちろんあどけない者の所業であって、それは本当の語ではな....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
が拝謁に出たときに、必ず煙草の葉をもって賜物とせられたことが記録に散見している。宮古や八重山の大阿母などは、危険の最も多い荒海を渡って、一生に一度の参覲を恙なく....