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宮門
「宮門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
宮門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
れて、その時までの舞台は全く一変した。慶喜と会津と桑名とは除外せられ、会桑二藩が
宮門警衛をも罷められた。摂政、関白の大官も廃され、幕府はその時に全く終わりを告げ....
「柳毅伝」より 著者:田中貢太郎
ておりますから、すぐお出ましになります」 紫の袍を著た貴人が侍臣に取り巻かれて
宮門の方から出てきた。 「王様だ」 武士はあわてて走って行って迎えた。紫衣の貴....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
また「晋《しん》刑法志」に「五帝象を画いて民禁を知る」とあるなどは、皆刑罰の絵を
宮門の双闕《そうけつ》その他の場所に掲げて人民を警《いまし》めたことを指すもので....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ケとてわが邦の蜥蜴に名が似て、カメレオンごとく能《よ》く変色する蜥蜴、もと帝釈の
宮門を守ったと伝う(ロウ氏の説、一八五〇年刊『印度群島および東亜細亜雑誌』四巻二....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
似て居る。また支那でヤモリを守宮というは、件《くだん》の『回教伝説』にヤモリ帝釈
宮門を守るというに符合する。この属の物は多く門や壁を這うからどこでも似た名を付け....
「蓮花公主」より 著者:田中貢太郎
笑う声がまだおわらないうちに、一人の宮女があたふたと走って来ていった。 「妖怪が
宮門に入りましたから、王は偏殿に避けられました、おそろしい禍がすぐ起ります。」 ....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
は尼だ。関白も大納言も、そうだ。足利将軍もそうだ。子供は坊主や尼にする。門跡寺、
宮門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の扶持を受けるという仕....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
来事になっており、またその年には蝦夷がいよいよ甘梼岡に宮城を構えて自分の住居を上
宮門、入鹿の住居を谷
宮門とよび、子供を王子とよびはじめたことが書いてある。 す....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
るがゆえに、筆のついでに附記するのみ。 大伴宿禰の族たる佐伯宿禰統率のもとに、
宮門警衛の任に当りし佐伯部なる部隊が、蝦夷族より組織せられたりしことは、「夷俘・....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
その著しい例でありました。 蝦夷を古語に佐伯と申しました。その佐伯を徴発して、
宮門護衛の兵士に採用しましたものを佐伯部と申し、大伴氏の一族佐伯宿禰に率いられて....
「三国志」より 著者:吉川英治
た、車騎将軍たる武装をして何※、荀攸、鄭泰などの一族や大臣三十余名を伴い、陸続と
宮門に入り、霊帝の柩のまえに、彼が支持する弁太子を立たせて、即座に、新帝ご即位を....
「三国志」より 著者:吉川英治
董卓は、云い捨てて、廟を下り、即座に、車馬千駄の用意を命じて、自分はひとまず
宮門から自邸へと輦を急がせた。 すると、その途上を、街路樹の木蔭で待ちうけてい....
「三国志」より 著者:吉川英治
、「変れば変るもの」と、涙を催さぬ者はなかった。 洛陽千万戸、紫瑠璃黄玉の城楼
宮門の址も、今は何処? 見わたす限り草|茫々の野原に過ぎなかった。石あれば楼台....
「三国志」より 著者:吉川英治
して参れ」 と、にわかに詔して、御手に彫弓、金※箭をたずさえ、逍遥馬に召されて
宮門を出られた。 今朝方から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何と....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
思いあがるべき頃だ。が彼は、勝つたびにかならずその部下をひきいて京都に入り、まず
宮門に乱の平定を報告した後、庶民には善を施し、社寺には供養をすすめ、道路橋梁の工....