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富強
「富強〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
富強の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
されて仕舞うことになる。志ある者は必ず上洛して、天子の下に、政治経済の権を握って
富強を致そうと望むのが当然である。こうして西上の志あった者に、武田信玄があり上杉....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
時日本人民は新たに鎖国時代より出でて眼前に世界万国といえるものを見、そのはなはだ
富強なるに驚きてほとんどその措くところを失いたり。識者間の考量もまたもっぱら国交....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
の内に、令すれば必ず行われ、禁ずれば必ず止むに至り、新法は着々実施せられて、秦国
富強の端を開いたということである。 けだし商鞅は、この移木令の一挙をもって、民....
「惜別」より 著者:太宰治
し、究極の目標は同じであっても、自分の目下の情熱は、政治の実際運動よりも、列国の
富強の原動力に対する探究に在った。それが科学であるとは、その頃、はっきり断定する....
「パラティーノ」より 著者:野上豊一郎
った。 その後乱暴な皇帝(ティベリウス、カリグラ、ネロ、等)も出たが、ローマの
富強は大したもので、「すべての道はローマへ通じる」といわれたように、ローマは世界....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
の如き相違があります。西洋では尊敬されるがゆえに人材は多く商業に集り、今日の如き
富強を致したものと思われます。 しかるに日本では「この子は学問が不出来で、末の....
「中津留別の書」より 著者:福沢諭吉
が自由を達し、脩徳開智、鄙吝《ひりん》の心を却掃《きゃくそう》し、家内安全、天下
富強の趣意を了解せらるべし。人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あ....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
おのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪《にく》む者あらん、誰か本国の
富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の....
「今昔茶話」より 著者:国枝史郎
のであった。この二人にとっては、個々の人間の道徳問題など問題でなく、国そのものの
富強その他物質的方面のみが問題だったのである。 だから、各国の王にはわかりよく....
「日本男子論」より 著者:福沢諭吉
るその次第は、我が国人が斯《か》くまでに力を尽して外交を重んじ、ただに事実に国の
富強文明を謀《はか》るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専《もっぱ》ら西洋....
「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」より 著者:福沢諭吉
、我が日本国の不文不明なるは教育のあまねからざるがためのみ、教育さえ行届けば文明
富強は日を期していたすべし、との胸算《きょうさん》にてありしが、さて今日にいたり....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
らの富が、よくあらゆるものを麻痺せしめおわったのであったに相違ない。清衡がいかに
富強を極めたりしかは、今も存する中尊寺の金色堂を見ただけでも容易に推知し得べきと....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
みれば、国の本は人にあり、人の本は精神にあり、精神ひとたび定まりて、初めて国家の
富強を講ずることを得るなり。兵力も商業も学問もみなこの精神によりて、初めてその活....
「西航日録」より 著者:井上円了
群参せざるはなし。これ英国人のもっぱら誇るところにて、毎日曜修養の力、よく今日の
富強をきたすというも、あえて過言にあらざるべし。よって余は、 喚鐘声裏往来忙、士....
「日本文化の特殊性」より 著者:戸坂潤
統一へ齎すためには、やむを得ない幕府の自衛手段であった。西方諸藩の海外貿易による
富強化は当時の日本の国家統一を再び危くするものであったに相違ない。だが考えて見る....