寺僧[語句情報] »
寺僧
「寺僧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寺僧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
死罪になった者の死体は投げ込み同様で、もとより墓標なども見えなかったが、それでも
寺僧の情けで新しい卒塔婆《そとば》が一本立っていた。 十年振りでめぐり合った父....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
かり帰る! ご接待ご苦労でござった」 さっと立ち上がると、あっけにとられている
寺僧どもをしり目にかけながら、さっそうとして待たせてあった駕籠にうち乗るや、間を....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
っても四、五丁|距《はな》れているので、藤助は直ぐに帰って来ない。そのあいだに、
寺僧も手伝って種々介抱に努めたが、伝兵衛の死骸は氷のように冷えて行くばかりであっ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
半七は別当所へ行って、自分たちの身分を明かして、かの絵馬について聞き合わせると、
寺僧らもおどろいて出て来た。彼らは半七の眼の前で、かの絵馬を取りおろして裏表を丁....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
紛失を発見したのは八ツ(午後二時)過ぎのことで、一応は墓地その他を詮索するやら、
寺僧が集まって評議をするやら、うろたえ騒いで時刻を移した末に、所詮どうにも仕様が....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
渭水の方角へむかったかと思うと、その夜半に再び帰って来たのを見たので、翌日それを
寺僧に語ると、僧もすこぶる不思議に思っていた。 それからまた五、六日の後、村民....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
家と定めているのである。 一昨年初めて参詣した時には、墓のありかが知れないので
寺僧に頼んで案内してもらった。彼は品のよい若僧で、いろいろ詳しく話してくれた。そ....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
等と片山道明寺附近で遭遇して激戦の末戦死した。之より前家康、本田正信の親族、相国
寺僧|揚西堂をつかわし基次に帰降を勧めた事がある。その時、基次「大阪方の運開け関....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
る喬生の着物の裾がかの柩の外に少しくあらわれているので、いよいよ驚いてその次第を
寺僧に訴え、早速にかの柩をあけて検めると、喬生は女の亡骸と折り重なっていて、女の....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
唐した。或はもっと早く宝亀年中だという考証もある。そして長く向うに居た。長安醴泉
寺僧内供奉翻経大徳として崇められたが、後、五台山に入って修道中、人のために殺され....
「道成寺(一幕劇)」より 著者:郡虎彦
うても、もうこの山へ一度上った者は、それきりで降りることが出来ないのだ。これまで
寺僧のうちで幾人もぬけ出した者はあるのだが、一人として麓へ行きついた者はない。盲....
「京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
の男を追った。安珍は逃げ場に窮して、日高郡にある道成寺にのがれ、救いをもとめた。
寺僧は彼の請をいれた。ただちに、僧を衆めて、大鐘を下し、その内に、安珍を納した。....
「迷信解」より 著者:井上円了
といい恰好といい衣服といい、本人に相違なければ、いよいよ変死を遂げたるものとし、
寺僧を聘して引導を頼み、戒名をもらい、追善の法事までも営み、かれこれするうちに百....
「磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
住家と定めているのである。 一昨年初めて参詣した時には、墓の所在が知れないので
寺僧に頼んで案内してもらった。彼は品の好い若僧で、色々詳しく話してくれた。その話....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
織、会議組織、独立組織これなり。管長組織は一宗派中に大教正のごときものありて、末
寺僧徒に関する一切の事件を統裁する一種の政府なり。英国教宗およびローマ宗これに属....