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小劇場
「小劇場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小劇場の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「勲章を貰う話」より 著者:菊池寛
あった。すべての劇場も活動写真《キネマ》も、興行を続けていた。ことに喜歌劇をやる
小劇場には士官や兵卒が群集して、若い歌手の女たちに喝采を浴せているのであった。 ....
「爬虫館事件」より 著者:海野十三
を押して入ると、ムッと噎せかえるような生臭い暖気が、真正面から帆村の鼻を押えた。
小劇場の舞台ほどもある広い檻の中には、頑丈な金網を距てて、とぐろを捲いた二頭のニ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
ことも好く御存じでしょうが、江戸時代の芝居小屋というものは実に穢い。今日の場末の
小劇場だって昔にくらべれば遙かに立派なものです。それでもその当時は、三芝居だとか....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
けを勤めて、道連れ小平の件りは省いていた。 円朝物が行なわれるに従って、各所の
小劇場でもそれを上演するものが少なくなかった。三十年九月には中洲の真砂座で「乳房....
「人造物語」より 著者:海野十三
、こんな美しいロボットは実在しない。 あの映画が、東京の邦楽座に出たとき、築地
小劇場の連中が、「メトロポリス」の実演をやった。そのとき沢山の美しいロボットが、....
「俳優と現代人の生活(対話Ⅴ)」より 著者:岸田国士
か、あるいは西欧的な一つの形でゆく、そういう感じとか表現をつけさせる。それは築地
小劇場の初期に行われたやり方だ。志賀直哉さんの言葉を借りて言えば「火の通らん」芝....
「戯曲復興の兆」より 著者:岸田国士
うと残念であるが、当時はまだ、新しい演劇運動はほんとに地についていなかった。築地
小劇場に外国劇万能の主張をかゝげ、微々たる創作劇には目もくれぬ風があった。私たち....
「演劇の様式――総論」より 著者:岸田国士
「かたち」をいろいろに変える実例についてである。 まず、「大劇場演劇」とか、「
小劇場演劇」とかいう名称が、既に、われわれの間で用いられはじめたのは、ずいぶん以....
「岩田豊雄と私」より 著者:岸田国士
、翌年の三月には早くも新劇の胎動が始まつた。最も代表的なものはいうまでもなく築地
小劇場の旗挙げであるが、その傍らで、いくぶん違つた道を進もうとしたいくつかの小さ....
「稽古場にて」より 著者:岸田国士
ない。 この「芝居」は既に日本でも、度々上演されている。古い所は別として、築地
小劇場以来、二、三の演出家が、それぞれの流儀で、一応「どん底」の日本版を作ってみ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
。ツイこの頃も或る雑誌で考証されていたが、こういう臆断は浪花節が好きだから右傾、
小劇場の常連だから左傾と臆測するよりももっと早呑み込み過ぎる。 六....
「イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
「ノラ」を、国立劇場は「皇帝とガリレア人」を上演するそうであります。 わが築地
小劇場も、各国の演劇都市に負けずに、さかんなイプセン記念公演、展覧会、講演会を催....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
んに小芝居の方へ向かうようになった。 劇場に大小の区別をつけて、大劇場といい、
小劇場というようになったのは、明治二十三年以後のことである。その以前は、芝居とい....
「米国の松王劇」より 著者:岡本綺堂
案内して遣るという。それで結構とすぐに案内されて這入ると、なるほど会員組織らしい
小劇場で、二階もなんにもない、極めて質素な小さい建物でした。しかし立派な服装の人....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
後にも各種の慈善興行がしばしば催さる。 ○八月、劇場取締規則改正。劇場は大劇場と
小劇場との二種にて、大は十カ所、小は十二カ所に制限せらる。同時に俳優税も改正、大....