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小堀
「小堀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小堀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「春の夜」より 著者:芥川竜之介
お金をおくれよう』って言って、……」
「ああ、そう言えばこの界隈《かいわい》には
小堀《こぼり》とか云う不良少年があってね、……」
すると次の間《ま》から声をか....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ある! あのかどにあるのがそうですよ」 ぐいと大川からこっちへ切りこんでいる
小堀《こぼり》のかどの出っ鼻に、なるほど於加田と書いたあんどんが、ゆらめく水に灯....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ(二九) その他|
小堀遠州のような人々はまた別の効果を求めた。遠州は庭径の着想は次の句の中にあると....
「霜凍る宵」より 著者:近松秋江
る手紙もそれに相当したものであった。 三野村は、前にしばらく、祇園町から程近い
小堀の路次裏に母親がひとりで住んでいるころそこの二階に同居していたこともあったく....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
れた鎗の鞘の茶入は、もと京都の町人井筒屋事河井十左衛門の秘蔵で、その頃の伏見奉行
小堀遠州は、京へ上るときには、いつもきまって井筒屋を訪ねて来て、 「京へ上って来....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
った代物だ。桂離宮も見たことがなく、竹田も玉泉も鉄斎も知らず、茶の湯も知らない。
小堀遠州などと言えば、建築家だか、造庭家だか、大名だか、茶人だか、もしかすると忍....
「鵞湖仙人」より 著者:国枝史郎
た。 ところが老人の泳ぎ方であるが、洵に奇態なものであった。 水府流にしても
小堀流にしても、一伝流にしても大和流にしても、立泳ぎといえば大方は、乳から上を出....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
廻廊、亭、植え込み、石灯籠、幾棟かの建物――などというようなありきたりのものを、
小堀流とか遠州流とか、そういった流儀に篏めて、縦横に造ったものに過ぎないのである....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
」 負け惜しみの強いトン公は、気絶したとは云わなかった。 二人を救った若侍は
小堀義哉というもので、五百石の旗本の次男、小さい時から芸事が好き、それで延寿の門....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
をトボトボと鴫丸の姿が、人間の殻のように歩いて行く。と、曲がって見えなくなった。
小堀屋敷のほうへ行ったようである。
「とんだ道草を食ってしまった。どれ急いで走っ....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
先生には橋本雅邦、川端玉章、川崎千虎、荒木寛畝(今の十畝さんのお父さん)それから
小堀鞆音等がいた。彫刻の方では僕の親父高村光雲、外に石川光明、竹内久一両先生、こ....
「にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
かりである。 僅かに一万両 孝明天皇ご即位前後、禁裡御料のことは代官
小堀が代々管掌していた。代官
小堀は、禁裡と仙洞御所の諸官からの申告によって、宮中....
「唇草」より 著者:岡本かの子
ている切石の橋や、枝振りよく枯れて立っている亀島の松によって、庭園は相当凝った、
小堀遠州系の池泉廻遊式であったことが想像される。日当りのいい中央部に研究室と温室....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
思います。東京に十名京都に五名と思いますが、東京の十名は、日本画では、河合玉堂、
小堀鞆音、下村観山、西洋画では黒田清輝、彫刻では私と新海竹太郎、刀剣では宮本|包....
「素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
ざるを得なかった。ここで私の卑見を披瀝すると、 一、前山さんの第一の錯覚は一代の
小堀遠州宗甫と御自分を同等に扱われたこと。 一、職人は職人でも遠州時代の職人と今....