小塚原[語句情報] »
小塚原
「小塚原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小塚原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
いたのだよ」 亥「そうとは知らずにどてっ腹をえぐろうと思っていた」 長「なに
小塚原《こづかっぱら》へ往くと、己やらねえ」 亥「そうじゃアねえ、己が知らねえ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
附を以てせられた。 抽斎の相続したと同じ年同じ月の二十九日に、相馬大作が江戸|
小塚原で刑せられた。わたくしはこの偶然の符合のために、ここに相馬大作の事を説こう....
「惜別」より 著者:太宰治
。杉田玄白の「解体新書」や「蘭学事始」などもその中にあった。そうして、玄白たちが
小塚原の刑場で罪人の屍を腑分する時の緊張などを、先生は特徴のあるゆっくりした語調....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
そいつは何だ、講釈師がよく饒舌る、天保水滸伝中、笹川方の鬼剣士、平手造酒猛虎が、
小塚原で切取って、袖口に隠して、千住の小格子を素見した、内から握って引張ると、す....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
待ち合わせていますと、まもなく不動院の一行がやって来ました。 この一行が千住の
小塚原《こづかっぱら》に着いた時分も、朝未明《あさまだき》でありました。 なに....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
のだろう。はや白じらとした暁のいろが森のむこうにわき動いていた。
人通りのない
小塚原《こづかっぱら》の往還《おうかん》を、男女ふたりの影がならんでいそぐ――当....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
納めかと萎れ返らぬ者はありませぬ。其の昔罪人は日本橋を中央として、東国の者ならば
小塚原へ、西国の者ならば鈴ヶ森でお仕置になりますのが例でございます。で、鈴ヶ森へ....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
や帰らねえッたら帰られねえや、どうせ細った素首だから三尺|高い処へ板付になって、
小塚原か鈴ヶ森へ曝された時に、あゝ好い気味だと云って笑って下せえ、其の代りに多助....
「兜」より 著者:岡本綺堂
ふさがれて再び江戸へ引っ返すのほかはなかった。勘次郎も逃げ路をうしなって、さらに
小塚原から浅草の方へ引っ返した。それからさらに本所へまわって、自分の菩提寺にかく....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の山谷堀のある所です。それを越えると浅草町で、それからは家がなくなってお仕置場の
小塚原……千住となります。 花川戸の山の宿から逆に後に戻って馬道へ出ようという....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
はおことわりします」 と、膠《にべ》もない。 千人悲願《せんにんひがん》
小塚原《こづかっぱら》天王の祭礼で、千住大橋の上では、南北にわかれて、吉例の大綱....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
が出来ますから、じゃ、これからすぐ……」 千住まで駕籠をやとって飛ぶようにして
小塚原。投込場同心に筋を通すと、下働きの非人が鍬をかついで非人溜りから出てきた。....
「黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
は繋がれて流罪になった。お熊と忠七とは密通の廉を以て、町中引廻しの上に浅草(今の
小塚原)で獄門に梟けられることになった。忠七は三十歳であった。お久も町中引廻しの....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
のまま女房へ預けておき、朝、係役人を案内して表向き首実検に供えた後、今日の内にも
小塚原あたりに打捨《うっちゃり》になり、江戸お構いの女房の拾いでも遅くも夕方まで....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
、内は寂としていた。 これさえ夢のごときに、胸を轟かせながら、試みに叩いたが、
小塚原あたりでは狐の声とや怪しまんと思わるるまで、如月の雪の残月に、カンカンと響....