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小康
「小康〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小康の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「子供の病気」より 著者:芥川竜之介
× ×
多加志《たかし》はやっと死なずにすんだ。自分は彼の
小康を得た時、入院前後の消息を小品《しょうひん》にしたいと思ったことがある。けれ....
「小さき者へ」より 著者:有島武郎
》ぼっこをして楽しく二三時間を過ごすまでになった。
どういう積りで運命がそんな
小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂《しと》ぐ....
「鯉魚」より 著者:岡本かの子
。 応仁《おうにん》の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では
小康を得たようなものの、戦禍《せんか》はかえって四方へ撒《ま》き散された形となっ....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
大半焼け尽しました。品川区、荏原区は、目下延焼中であります。下町方面は、むしろ、
小康状態に入りました」 「放送局との連絡は、ついたろうか」 「無線連絡が、もう間....
「ある抗議書」より 著者:菊池寛
るだろうと姉夫婦も私も私達の父母も、愁眉を開いて居たのでありました。が、こうした
小康を欣んで居た時、あの怖ろしい運命が姉夫婦を襲いかけて居たのであります。 忘....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
しめて居るが、彼は泉州に於ける優勢な楠勢にはとても敵せぬと、京都に報告して居る。
小康を得て居た当時の京都の人心は為に恟々として畏怖動揺したとみえる。洞院|公賢は....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
の気候は申分なかった。自ら「咳と骨に過ぎない」というスティヴンスンの身体も、先ず
小康を保つことが出来た。彼は此処で住んで見る気になり、アピア市外に四百エーカーば....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
敷へ入ると、ケロリとして道中記をながめています。 道庵先生にとっては、今がその
小康時代ともいうべきものでしょう。ナゼならば、先生の唯一の好敵手たる隣りの鰡八御....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
幸にその時は快方に向って、それから郷里の松山で保養する事になった。そうしてその後
小康を得て東京へ帰ったが、その頃から段々と行歩が不自由になって、多くは床に就いて....
「自由人」より 著者:豊島与志雄
、新聞記事のことを話したり、それきりだった。 わたしの方では、田島さんとの話は
小康を得ていた。さっぱり要領を得ないように母をごまかしておいた。先方にも、亡父の....
「光は影を」より 著者:岸田国士
、この通り、あなたに公然と筆をとらせるようなわけでございます。 もちろん、病状は
小康を得ていると申す程度で、もはや廃人同様のからだに違いございませんから、さしあ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
重役共が、己のために、斉興を立てて――父の命が、何年あると思うか? それだけの間
小康を得て、何になるか?――兄の仕事を、こわして、それで、兄の蒔いた種までが、枯....
「熱情の人」より 著者:久保栄
力をもってすれば、現在日本劇壇の中堅を形づくる最も優秀な俳優の一団を、この程度の
小康に安んぜしめなかったに相違ないのであるが、自由劇場の再興と築地小劇場の新運動....
「澪標」より 著者:外村繁
は、最早、彼の皮膚に染みついたものかも知れない。中谷にとっては、むしろこの時代は
小康を保っていた時期と言える。彼は親戚の家に下宿し、学校へも比較的よく出席してい....
「和製椿姫」より 著者:大倉燁子
面を反向けた。 私はそれでも連れ帰るとは云えなかった。全責任を負うから、彼女が
小康を得るまで待ってくれと東山に頼んだ、美耶子はいま動かせないほどの重体であるか....