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「少者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

少者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
水害雑録」より 著者:伊藤左千夫
うの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持った者、殊に手足まといの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願うの念が強いのである。 一朝|禍を蹈むの....
自叙伝」より 著者:大杉栄
けはまだ後日談がある。 中学校にはいろんな種類の人間がはいった。僕等を一番の年少者として、もう三、四年も前に高等小学校を終えて自分の家の店で坐っていた二十近い....
母子叙情」より 著者:岡本かの子
十指の一人にむす子の名前が報じられて来るようになって来た。むす子はその中でも最年少者で唯一の日本人であるだけに、特別の期待の眼を向けられている様子だった。 「ま....
」より 著者:島崎藤村
たのは、何時頃だっけね。そうだ、君が大学へ入った年だ。僕はその頃、新聞屋仲間の年少者サ――二十の年だっけ――その頃に最早天下の大勢なんてことを論じていたんだよ」....
」より 著者:島崎藤村
もあったが、私と同年ですでに幾人かの孫のあるという未亡人が、その日の客の中での年少者であった。 しかし、一同が二階に集まって見ると、このお婆さんたちの元気のい....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
◇ 能管の金内吉平氏は翁の生存当時の能管の中でも一番の年少者で、体格も弱少であったが、或る時、「敦盛」の男舞を吹いている最中に翁が覗いて....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
生意気で横暴なのは三年生である、四年五年は分別が定まり、自重心も生ずるとともに年少者をあわれむ心もできるが、三年はちょうど新兵が二年兵になったように、年少者に対....
灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
とさえ思われながら、そんなことが出世に大きなひびきがあることを知った。私は一番年少者であったし誰とも事件をまき起さないでいたけれど、後からはいってくる女の子達よ....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
た。これで、みんなが、岩にあがろうというのである。 そこでまず、この輪に、最年少者の漁夫の国後が、腰をかけると、そのがっちりした胴中を、しっかりと索で輪にくく....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
あったから、先生の眼を離れた二階ではいろいろ思いのほかのことが行われた。 最年少者の私は家を出て最初のこの見聞に驚きながらも、しらずしらずこれが寄宿舎の風かと....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
不合理に印象するのだという公けな真理性への関心はまるで無いのであった。 この年少者と大概の大人との感受性の相違は実に重大なことだ。そしてすぐれた、偉大な教育者....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
ち記されていないが、十九歳の茂左衛門基治、すなわちこの「馬妖記」の筆者が一番の年少者であったらしい。この七人が三組に分れた。第一組は弥次兵衛と助左衛門、第二の組....
少年連盟」より 著者:佐藤紅緑
、ドノバン、きみは悪いぞ、ボートは幼年者のものだ、年長者はいかなるばあいにも、年少者のぎせいにならねばならぬとは、昔からの紳士道じゃないか」 ゴルドンはこうい....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
があったものと見える。一体、親兵衛は少年というよりは幼年というが可なるほどの最年少者であって、豪傑として描出するには年齢上無理がある。勢い霊玉の奇特や伏姫神の神....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
『国会』に劇評を書いていた。こういう人たちと伍して、まだ二十歳に足らない私が最年少者であることは言うまでもない。わたしも努めて小さくなって、それら諸先輩に敬意を....