山田鬼斎[語句情報] » 山田鬼斎

「山田鬼斎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山田鬼斎の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
回想録」より 著者:高村光太郎
、小さい部分から伸ばしてゆく。そして寄木にして段々に積み上げながら拵えたものだ。山田鬼斎さん、新海(竹太郎)さんなどいろいろな先生が手伝っていた。その製作の工程....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
った男の最初のモデルというのは俥屋で随分と滑稽なこともあった。よく覚えているが、山田鬼斎先生の教室にそのモデルの俥屋が婆さんに連れられてやってきた。此時は塑造台....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
あった。 その頃は、まだ、美術学校には塑像はありません時代で、原型は木彫です。山田鬼斎氏は楠公の胴を彫りました(山田氏は福井県の人でまだ年は若かったが、なかな....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
めて、床置き位な小さい鋳物が四つか五つ出来ました(住友家の依頼であった)。これは山田鬼斎氏が大作に依って小型を彫りましたのです。その小型が今日美術学校の文庫に保....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
算とは大変な番狂わせでありました。 右の材の一つ分は、竹内先生が使い、も一つは山田鬼斎氏にお譲りし、も一つは二、三の先生が分けられたように記憶しています。それ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
少しも思いませんでした。当時一個の木彫りで百五十円という価格は飛び切りで、かつて山田鬼斎氏が百円という売価を附けたので驚いた位の時代でありますから、まだ、知名の....