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岸和田
「岸和田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
岸和田の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「放浪」より 著者:織田作之助
のやしみつきや、それから何じゃかや一杯呉服物を一反風呂敷にいれ、南海電車に乗り、
岸和田で降りて二里の道あるいて六貫村へ着物《べべ》売りに来ると、きまって現糞わる....
「元禄十三年」より 著者:林不忘
手を突っ張って、起き上りかけた。 「ちょっと、お待ちを――。」 「停めるな。泉州
岸和田五万三千石と、一時の下《くだ》らぬ強情《ごうじょう》と、どっちが大切か、兄....
「堺事件」より 著者:森鴎外
ぞわたくし共をお使下さい。砲台には徳川家の時に据え付けた大砲が三十六門あって、今
岸和田藩主岡部|筑前守長寛殿の預りになっています。わたくし共はあれで防ぎます。あ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
日はお松が、ムク犬をつれて、万年橋を渡ります。 これはかねて、心がけていた、対
岸和田の村に、宇津木文之丞のお墓参りをしようと思っていたのを果すつもりと見える。....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
きよった。ところが、親父はすぐまた俺を和泉の山滝村イ預けよった。山滝村いうたら、
岸和田の奥の紅葉の名所で、滝もあって、景色のええとこやったが、こんどは自分の方か....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
と云うことは半面において、中斎先生の眼力が、狂ったという証拠になる。……和歌山、
岸和田に関わる裁判、京師妖巫の逮捕などに、明察を揮われた先生の眼も、今はすっかり....
「大阪の可能性」より 著者:織田作之助
」に出て来る大阪弁はやはり純大阪弁でなくて大和の方の言葉であり、「人間同志」には
岸和田あたりの大阪弁が出て来る。川端康成氏の「十六歳の日記」は作者の十六歳の時の....
「平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
どが身動きもならぬ程に押合いへし合い、川の岸には山と積上げられた灘の酒、堺の酢、
岸和田の新綿、米、糖《ぬか》、藍玉《あいだま》、灘目素麺《なだめそうめん》、阿波....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
共に、世の流転をよそに、歌行脚よし、茶三|昧よし、思わず数年を暮して来たが近頃、
岸和田の城主、小出右京進が下向に同道して、ぶらと、江戸の開けようを、ありのままい....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
なかった。 だが、それも長いあいだではない。山を降り、村の道が尽きると、やがて
岸和田の町へついた。さっき、伊織が山から見た海は、和泉の浦であったのだ。人間の多....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
から立った。 「安間|了現」 「おうっ」 「次に、八木ノ入道|法達」 「は」 「
岸和田ノ弥五郎|治氏」 「はっ」 人々は怪しみだした。正成はなお指名をつづけ、....
「放浪」より 著者:織田作之助
のやしみつきや、それから何じゃかや一杯呉服物を一反風呂敷にいれ、南海電車に乗り、
岸和田で降りて二里の道あるいて六貫村へ着物売りに来ると、きまって現糞わるく雨が降....
「仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
童は極く無造作に大小高下の墳塋をば説明して呉れた。 『左手向う木の根|一本は泉州
岸和田岡部美濃守』 『この右手の三本は多田満仲公です。当山石碑の立はじまり』 『....