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「嵯峨天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

嵯峨天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
五十八 「丑《うし》の刻《とき》まいり」というのは、古い記録によると、嵯峨天皇の御時代からはじまる。その時代にある公卿《くげ》の女が、何か人を恨めるこ....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
しょうか」 「世捨て人だよ。宇治山のな」 「ははあ、さようでございますかな」 「嵯峨天皇弘仁年間山城の宇治に住んでいた僧だ。橘奈良丸の子とも云われ紀ノ名虎の子と....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
あはれまでも、思ひ残さぬ泪なり。 とある「東夷」を始めとして、『経光卿記』に、後嵯峨天皇御即位の時のことを記して、帝位は東夷の計のごとし。とあるなど、その例、枚....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
たび発掘を試みたりしましたが、そんな事はあるべき筈がありません。 その後十余年嵯峨天皇の弘仁の頃に、さらに文室綿麿が遠征しましたが、この時にはさきに田村麿が行....
古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
くいわれておりますが能書はやはり弘法大師であり、道風であり、逸勢であり、あるいは嵯峨天皇のごとき、あるいはずっと降りまして三藐院、近衛公。徳川時代になって物徂徠....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ところが北条泰時の反対でそれが実現せず、土御門上皇の皇子が即位せられた。これが後嵯峨天皇であった。これ以後北条氏の力は皇位継承にまで常に干渉いたすようになった。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
まったかというに。 当年の後醍醐天皇からさかのぼって、およそ九十年前に、 後嵯峨天皇 がある。 この帝は、北条氏のさしがねで、北条氏が推したお方だから、....