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嶮峻
「嶮峻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嶮峻の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
人々のうちの最年長者は、七十五歳であると聞いた。 金華山は登り二十余町、さのみ
嶮峻な山ではない、むしろ美しい青い山である。しかも茫々たる大海のうちに屹立してい....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
大きさは五|石を盛る瓶の如くで、これに蔵する蜂蜜はさぞやと察せられたが、何分にも
嶮峻の所にあるので、往来の者はむなしく睨んで行き過ぎるばかりであった。 そのう....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
く彼女の菩提を弔った。 秦の毛人 湖広に房山という高い山がある。山は甚だ
嶮峻で、四面にたくさんの洞窟があって、それがあたかも房のような形をなしているので....
「連環記」より 著者:幸田露伴
二年、明道年間に死んだのであるが、寂照が平坦な三十年ばかりの生活をした間に、謂は
嶮峻な世路を歩んで、上ったり下ったりしたのであった。別に其間に謂と照との談はない....
「妖僧記」より 著者:泉鏡花
人里を出離れつ。北の方角に進むことおよそ二町ばかりにて、山尽きて、谷となる。ここ
嶮峻なる絶壁にて、勾配の急なることあたかも一帯の壁に似たり、松杉を以て点綴せる山....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
固むるのほかはないと知って、苦難を忍従し晴れやかな額《ひたい》をし、未来に通ずる
嶮峻《けんしゅん》なる隘路《あいろ》を進んで行きつつあった。 生気ある理想主義....
「エトナ」より 著者:野上豊一郎
で、冬は吹雪で警戒されることが多いそうだ。登山季節といえども、二千米以上の部分は
嶮峻であり、それに火山灰が深くて登攀に困難だということだ。しかし、私たちの場合は....
「茶の本」より 著者:岡倉由三郎
一平板な習俗を懸命に追うてただすら他人の批評に気をかねる常道の人々からは、とかく
嶮峻な隘路を好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なから....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
仞の谷間を望みつつ崖道の恐ろしい牟伽羅坂という坂を登って参りましたが、その坂路の
嶮峻なることはなんとも形容のしようがございません。で、その坂の左側には高雪峰が剣....
「三国志」より 著者:吉川英治
路を越えねばならず、南は巴山山脈にさえぎられ、関中に出る四道、巴蜀へ通ずる三道も
嶮峻巍峨たる谷あいに、橋梁をかけ蔦葛の岩根を攀じ、わずかに人馬の通れる程度なので....
「三国志」より 著者:吉川英治
てくる水におわれて、毎日毎日少しずつ高いところへ移ってゆく。……しかし背後の山は
嶮峻である。もうそれ以上は高く移せない所へまで、敵の旗は山ぎわに押し詰められてい....
「三国志」より 著者:吉川英治
頂に防塞を築いて、三|洞の兵を峰つづきに配し、ひそかに、 「中国の弱兵には、この
嶮峻さえ登ってこられまい」と、驕っていた。 月明を利してその下の渓道まで寄せて....
「三国志」より 著者:吉川英治
」 孔明は落着いていた。 南安は、西は天水郡に連なり、北は安定郡に通じている
嶮峻にあった。 孔明はそのあくる日、仔細に地理を見て歩き、後、関興と張苞を帷幕....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ている。 さして高くはないが、俗に“上り十八町”といわれ、胸突き坂の一方道と、
嶮峻な絶壁など、個性きびしい山容だった。 九月に入ったばかりのこと。――宗良親....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
象の一つである。この旅を始めて以来日一日と其麓に近付くに連れて、山の高さは加わり
嶮峻の度は増して、曾ては一度其|巓を窮めた身にも、自分は果してあの頂上に登ること....