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「嶮路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

嶮路の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
吊籠と月光と」より 著者:牧野信一
ようのない不和の姿を切なく見守り続け過ぎた。僕は、「兵士の歌」のAを、バンヤンの嶮路《けんろ》に向けて悪魔と戦わせてやろうか、気難し屋のBをラ・マンチアの紳士と....
越中劍岳先登記」より 著者:柴崎芳太郎
一休みしました、また其処よりは立山の権現堂からフジという処を経て別山に赴くほどの嶮路で花崗片麻岩のガサ岩ばかりであります。かくて漸く絶頂に達しましたのは、午前十....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
上ってまいったので、やや疲労をおぼえました」 「まだ、この上には一ノ森、二ノ森の嶮路がある。そんなことでは心細いぞ」 「いや、とんでもないことを」 「なにがとん....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
た。 木曾の刃囲を切り破って、お綱と万吉を助けながら、あの夜、からくも裏街道の嶮路へ脱した弦之丞は、それから数日の間に、夜旅を通して大阪表へまぎれて来ていた。....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
位卿の一行と、道なき裏山の、それも山番の目を忍び忍びくる彼とは、時間にして半日、嶮路の不利にしてだいぶな差がある。 ただ、僥倖というべきことは、深更に十手の襲....
三国志」より 著者:吉川英治
ては、戦いつかれ、玄徳も進退きわまって、すでに自刃を覚悟した時だった。 一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。 養子の関平や、部下|周倉をしたがえ、三百余騎....
三国志」より 著者:吉川英治
この地方の交通の不便は言語に絶するものがある。北方、陝西省へ出るには有名な剣閣の嶮路を越えねばならず、南は巴山山脈にさえぎられ、関中に出る四道、巴蜀へ通ずる三道....
三国志」より 著者:吉川英治
州に入る」 関羽は断乎として進んだ。 けれど途中に、呉の蒋欽、周泰の二将が、嶮路を扼して待っていた。河辺にたたかい、野に喚きあい、闇夜の山にまた吠え合った。....
三国志」より 著者:吉川英治
。卿らまたつつがなく此処に来らんことを祈る」と、云い送った。 ここは国境第一の嶮路である。加うるに友軍はみな漢中へ退いて、いわば掩護のために、山中の孤軍となっ....
三国志」より 著者:吉川英治
蜀兵の配置が充分であったため、たちまち、魏軍を諸所に捕捉して、痛打を加え、特有な嶮路を利用して、さんざんに敵を苦しめたのである。 「いけない、なお未だ孔明の遺風....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
んえんと京都からこの山岳地まで二十日がかりで来たわけだ。 途中の風雨や、山坂の嶮路など、どう越されたのか想像もできない。殊に、それだけの人員やら熊野三山の大衆....