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「川本〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

川本の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
の両眼は絶えず烱々《けいけい》として、川の右岸、すなわち京橋日本橋とは反対側の深川本所側ばかりにそそがれました。それも短い距離ではないので、舟が大川筋にはいると....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ようにぽっかりと光芒《こうぼう》爽《さや》けく昇天したものは、このわたりの水の深川本所屋敷町には情景ふさわしい、十六夜《いざよい》の春月でした。 「退屈男のわし....
渦巻ける烏の群」より 著者:黒島伝治
る時、武石は、鼻から蒸気を吐きながら、他の扉を叩いていた。それから、稲垣、大野、川本、坂田、みなそれぞれ二三分間おくれて、別の扉を叩くのであった。 「|今晩は《....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
寛斎先生に中津川の香蔵さん、それに景蔵さんも呼んであげたい。」 浅見景蔵は中津川本陣の相続者で、同じ町に住む香蔵を通して知るようになった半蔵の学友である。景蔵....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の心配は、半蔵が親友の二人までも京都の方へ飛び出して行ったことであった。あの中津川本陣の景蔵や、新問屋|和泉屋の香蔵のあとを追って、もし半蔵が家出をするような日....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
たころから再度の入洛を思い立って来て、正香らと共にずっと奔走を続けていた人に中津川本陣の浅見景蔵がある。東山道|先鋒兼|鎮撫総督の一行が美濃を通過すると知って、....
幾度目かの最期」より 著者:久坂葉子
、既に愛着を抱いていた、現代演劇研究所で上演してほしいものです。役は、マネキンを川本さんに、彼女は音楽的な感覚をもっているし、舞踊が出来るんだ。ついでに、私のの....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
の多くは信濃から関東へ東国へと逃げたのもあるが、信濃の松本からサイ川づたいに信濃川本流へでて出羽方面まで逃げたのが多かったようだ。平家の落武者という人間人種は、....
アラメダより」より 著者:沖野岩三郎
みんな一致して章子さんを級中の大統領に選挙したのである。此の公民教育については、川本宇之介という大家が東京にいるから、詳しい事はそちらで聞いてほしい。 ある小....
雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
尺の太郎山の峭壁を睨んで釣る姿、寂しさそのものであると思う。 川治温泉から鬼怒川本流を遡り、青柳平と黒部を過ぎ、川俣温泉へ辿りつけば岩魚の仙境だ。さらに日光沢....
香魚と水質」より 著者:佐藤垢石
上げられ、東京市民の喉をうるおすのである。そこで、羽村から下流の多摩川の水は多摩川本来の水とは全く縁を絶って、いまでは、僅かに一本の支流秋川を合わせるのみで、他....
利根の尺鮎」より 著者:佐藤垢石
のである。 さらに、前橋の県庁を通り坂東橋を抜けて吾妻川との合流点を過ぎ、利根川本来の姿の大渓谷へ入って行くのは五月中旬であった。若鮎は、続いて躍進して行った....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
プス山岳の肩から出る早川の上流、野呂川へも岩魚を志して行ったことがある。 富士川本流の、鮎の友釣りは豪快である。私はその中心地|波高島と身延へは、年に四、五回....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
わけであった。 東京の片隅、はまぐり料理屋とおもしろいお茶屋にはさまれた狭い品川本通りを一歩はずれると、目黒川のほとりに本照寺という小さい古寺がある。池田良栄....
秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
夫より右斜に上りて、九時一の平坦地に達し、東に向って下り、十時日光沢。十一時鬼怒川本流との出合。十一時五十分八丁湯附近にて昼食。雨|歇む。午後二時出発。三時十分....