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「川開き〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

川開きの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
雌に就いて」より 著者:太宰治
を借りて住まっていて、五歳のててなし児《ご》とふたりきりのくらしである。かれは、川開きの花火の夜、そこへ遊びに行き、その五歳の娘に絵をかいてやるのだ。まんまるい....
両国の秋」より 著者:岡本綺堂
いに来た。東両国の観世物《みせもの》小屋の楽屋へも時どき遊びに来た。それが今年の川開き頃からしだいに足が遠くなって、お絹の家《うち》にも楽屋にも林之助の白い顔が....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
花火がくふうされ、さらに享保十八年に至りまして、今もなお盛大に行なわれているあの川開きが催されるようになりましてからは、めめしい貴族的なたなばた流しよりも、むや....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
冷たいたましいのあらわれに他ならないのである。 ……墨堤の桜……ボート競漕……川開きの花火……両国の角力《すもう》や菊……扨《さて》は又、歌沢《うたざわ》の心....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、両国橋の繕《つくろ》いというのは、いつ頃までに出来上がるのだ」 「五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ」 「....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
何かのこととはまるで訳が違いますので……。まあお聴きくださいまし。丁度この五月の川開きの少し前でございました。一人のお供を連れた立派なお武家がわたくしの店のまえ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
るようですね。はははははは。いや、冗談はおいて話しましょう。御承知の通り、両国の川開きは毎年五月の二十八日ときまっていたんですが、慶応の元年の五月には花火の催し....
追憶」より 著者:芥川竜之介
している。が、それはことによると、僕の記憶の間違いかもしれない。 二二川開き やはりこの二州楼の桟敷に川開きを見ていた時である。大川はもちろん鬼灯提....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
夜空を、火災の煙が高く高くのぼって行く、その煙雲のふちはももいろに染まっている。川開きのような、下がってくるオーロラのような焼夷弾の落下である。 ◯撃墜されるB....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
のものらしい。少なくとも東京では夏の宵の景物である。 哀えたと云っても、両国の川開きに江戸以来の花火のおもかげは幾分か残っている。しかし私は川開き式の大花火を....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
があって来た半蔵を見ると、それだけでは済まさせない。毎年五月二十八日には浅草川の川開きの例だが、その年の花火には日ごろ出入りする屋敷方の御隠居をも若様をも迎える....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
善料理 風鈴と釣忍 井戸がえ 箱庭と灯籠 定斎と小使銭 青簾 夏祭り 心太と白玉川開き 草市と盂蘭盆 灯籠流し 蒲焼と蜆汁 丑べに 朝顔と蓮 滝あみ 虫と河鹿 ....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
を撃ちあげた。そのため約千五百メートルから二千メートルのあたりが、まるで両国の大川開きの花火のようだった。 ところが、その次の瞬間であった。甲板のすぐ真上に、....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
で、十五と十六の両日は藪入りの観客に牡丹燈籠を画いた団扇を配った。同月二十三日の川開きには、牡丹燈籠二千個を大川に流した。こうした宣伝が効を奏して、この興行は大....
黒いちょうとお母さん」より 著者:小川未明
くれました。 『おじいちゃん、それなんにするの……。』 『このからすはもうじき、川開きがくる、そのとき上げる花火の中にいれるのだ。』 おじいさんが仕事をしなが....