工科[語句情報] » 工科

「工科〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

工科の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
骨を削りつつ歩む」より 著者:佐左木俊郎
けて書き出した。随《したが》って役所の方との関係が面白く無くなり、それと同時に、工科の学校へでも通うようにして、務めの方を真面目《まじめ》にやってほしいという、....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
ギーセン大学からの招聘を辞退して一八九一年故国スウェーデンに帰り、ストックホルム工科大学の講師となり、後にそこの教授となった。一九〇五年にはまたベルリンからの招....
国際殺人団の崩壊」より 著者:海野十三
に、第一に電気学会の幹事会に爆弾を抛りこまれて幹部一同が惨死をする。次はS大学の工科教授室の連中が、悪性腸チブスでみな死ぬし、第三番目には先月、鉄道省の技術官連....
三角形の恐怖」より 著者:海野十三
氏の行動を観察して其の性格を理解したいと思いました。又其の職業も私のように理科や工科の人であったり、或いは画家であっても困ると思って細田氏の行く先々にも度々つい....
自叙伝」より 著者:大杉栄
けはもう一度考え直して見てくれ。お前も七、八人の兄弟の総領なんだからな、医科とか工科とかの将来の確実なものなら、大学へでもやってやるがね。どうも文学じゃ困るな。....
北村透谷の短き一生」より 著者:島崎藤村
のを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎君は、大学へ行って工科でも択ぼうという位の綿密な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何....
競漕」より 著者:久米正雄
手の農科はもう出てしまっている。もう千住くらいまで溯って練習しているのであろう、工科の艇も繋いでない。法科も漕ぎ出してしまった。医科と文科の艇だけがいつも朝はお....
地上」より 著者:島田清次郎
る五年の乙組の四十人近い生徒を映像した。 「何です、昨年に比して非常に実業志望と工科志望が増えましたです。そうです、もう商工業方面志望で七割をとっている状態です....
法学とは何か」より 著者:末弘厳太郎
よって政策実現の方法を教えられる。実用法学と法社会学との関係は、たとえて言えば、工科の学問と理科の学問との関係、臨床医学と基礎医学との関係に似ている。技術学とし....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
塩釜神社の長い石段も松島の静かな眺めも何となく淋しかった。松島から帰った日、今の工科大学教授加茂正雄君、昨年露国|駐剳大使館一等書記官として亡くなった小田徳五郎....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
と題する精緻なる研究を考古学会雑誌上に発表せられた。ついで三十一年にはそれが東大工科大学紀要となり、同君はこれに依って工学博士の学位を贏ち得られたのである。同君....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
しという。午後、文部属官の案内にて、医科大学および実科師範校を参観す。実科中に木工科、体操科、割烹科等あり。 十一日、晴れ。午後、三隅氏と同行して、中学校およ....
『火星兵団』の作者の言葉」より 著者:海野十三
一等国らしいところはなく、三等国以下ではないかと思われる節もあります。私も、実は工科学生として永い間勉強し、それから後十八年間も技術者として仕事をしてまいりまし....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
驚いた。」 口々に私たちも驚いて帽子を振った。自動車は停った。日本医専の二人に工科大学生の一人であった。 彼らは徒歩で昨日真岡からすぐに発足したのであった。....
黒板は何処から来たのか」より 著者:小倉金之助
は、ヨーロッパの陸軍制度調査研究の結果、フランスのエコール・ポリテクニク(高等理工科学校)を模範として、一八一七年から士官学校の改造を断行した。それでこの学校は....