左兵衛督[語句情報] » 左兵衛督

「左兵衛督〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

左兵衛督の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
源氏物語」より 著者:紫式部
霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿の宮の左兵衛督は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入....
源氏物語」より 著者:紫式部
人のたくさんある中にも兵部卿の宮などはことに残念がっておいでになる一人であった。左兵衛督は姉の大将夫人のこともいっしょにして世間体を悪く思ったが、恨みを言っても....
源氏物語」より 著者:紫式部
級役人や殿上人の饗膳などは内蔵寮から供えられた。左大臣、按察使大納言、藤中納言、左兵衛督などがまいって、皇子がたでは兵部卿の宮、常陸の宮などが侍された。南の庭の....
興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
、母の族なる播磨国の人|佐野官十郎方に寄居いたしおり候。さてその縁故をもって赤松左兵衛督殿に仕え、天正九年千石を給わり候。十三年四月赤松殿|阿波国を併せ領せられ....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
康の擁護で、やっと下野塩谷郡の喜連川に一万石の封土を得て落着いた。 これが足利左兵衛督国朝で、世に“喜連川公方”などと呼ばれたものである。 表向き、徳川幕府....