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左内
「左内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
で音を上げるような右門だったら、それこそみなさまがたに会わする顔がねえや。さっき
左内坂で新手の駕籠が奪い乗せるように秀の浦をさらっていったと聞いたときから、おそ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
なんと思う」 こう云って一座の若者らを見渡したのは、鰻縄手に住む奥州浪人の岩下
左内であった。追分から浅嘉町へ通ずる奥州街道の一部を、俗に鰻縄手という。その地名....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
田雲浜のように、獄中で病死したものが別に六人もある。水戸の安島帯刀、越前の橋本|
左内、京都の頼鴨崖、長州の吉田松陰なぞは、いずれも恨みをのんで倒れて行った人たち....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
も人間歴史の運行を語るかのように高くかかっている。あそこに梅田雲浜があり、橋本|
左内があり、頼鴨崖があり、藤田東湖があり、真木和泉があり、ここに岩瀬肥後があり、....
「縮図」より 著者:徳田秋声
、裕福な村医なのだが、その先代の昔は緒方洪庵の塾に学んだこともある関係から、橋本
左内の書翰などももっていた。 「そんな画お金になるの。」 「そんな画とは失礼だね....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
正信の弟で、隠れ無い勇士であったが其の如くで、其他旗本から抜け出でて進み戦った岡
左内、西村|左馬允《さまのすけ》、岡田大介、岡半七等、いずれも崛強《くっきょう》....
「時計屋敷の秘密」より 著者:海野十三
の子供たちはよく知っていた。 その時計屋敷とは、いったい何であろうか。 この
左内村《さないむら》の東はずれにあたる山腹に、昔からこの時計屋敷が見られた。がん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
侍のうちにゃ、またエライ奴がいたんだてな、長州の吉田寅次郎だとか、越前福井の橋本
左内だとか、梅田うんぴん、なんて手合は、ザラにあるインチキ浪士とは違って、惜しい....
「天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
ございまして、主立った部将の面々は、森宗意軒、葦塚忠右衛門、同じく忠太夫、同じく
左内、増田甚兵衛、同じく玄札、大矢野作左衛門、赤星宗伴、千々輪五郎左衛門、駒木根....
「銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
績善堂、加藤左伝次と記されてあった。 当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢
左内、加藤左伝次は
左内の高弟、師に譲らずと称されていた。
左内の専門は人相であった....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
好きだよ。妾はこの男を手に入れてみせる。……でもこの男は拒絶るだろうよ。あの北条
左内様のように。でも
左内様は妾の物さ。……今夜から妾の物になるのさ。……今夜はこ....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
どう致しまして、まず、まず」 三 浪人小笠原金三郎、同じく駒越|
左内、医師|奥野俊良、これだけが半田屋九兵衛方に当分宿泊となった。主人はもう有頂....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
々《こうこう》たる夜、牛込神楽坂《うしごめかぐらざか》浄瑠璃坂《じょうるりざか》
左内坂《さないざか》また逢坂《おうさか》なぞのほとりに佇《たたず》んで御濠《おほ....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
勉強にうちこんでいるのでした。 こうした適塾の生徒の中から、わかい革命家の橋本
左内、軍人・政治家の村田蔵六(のちの大村益次郎)、医療の制度をあらためた長与専斎....
「つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
岡は感づかれまいと、男の足の早さをたのみにして、ひた走りに町を迂回《うかい》して
左内阪《さないざか》を昇り神社の裏門から境内《けいだい》に進入《すすみい》って様....