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左馬頭
「左馬頭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左馬頭の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「源氏物語」より 著者:紫式部
の娘と、そんなのはどちらへ属させたらいいのだろう」 こんな質問をしている所へ、
左馬頭《さまのかみ》と藤式部丞《とうしきぶのじょう》とが、源氏の謹慎日を共にしよ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
い暗い心を抱くとはけしからぬことである。人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを
左馬頭《さまのかみ》の言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
人。
真夜中の白沢。
氏家《うじいえ》。
喜連川《きつれがわ》――喜連川|
左馬頭《さまのかみ》殿御城下。
夜どおしがむしゃらに歩きつめて、へとへとに疲れ....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
て来た。 五万八千石|久世大和守。――常州関宿の城主である。喜連川の城主喜連川
左馬頭――不思議のことにはこの人は無高だ。六万石小笠原佐渡守。二万石鍋島熊次郎。....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
てきた。 庭伝いに、数寄屋へ通った客なる人、京浪人と称しているが、まことは七条
左馬頭、梅渓右少将、交野左京太夫の三卿で、歴々たる公卿たちである。 一様にしの....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
者だ。しかるに、みかどはその高氏を、さっそく治部卿の官にあげられ、弟|直義をも、
左馬頭に任じておられる……。まるでもう新しい宮門へ、先に邪神を入れているようなも....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
もみな一様に、 十一月二日 の発になっている。 だが、署名は尊氏ではなく、
左馬頭とあり、すなわち弟|直義の花押だった。 内覧ののち、僉議の公卿一統へ廻覧....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
にくらべれば、まだわれらには生死を共に誓ッた八百の精鋭がここにある。何の怯みを」
左馬頭直義は、このとき火のごとき言を吐いた。人々もそれに打たれて二言となかった。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たでないことはよくわかります。けれどあなたは政治の裏にいて、表に立つのは、つねに
左馬頭(直義)どのではございませぬか。……ここの警固すべても、みな左馬殿|直々の....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
、丹波の少将とよばる。 〔行盛〕清盛の養子、基盛の子という説しか分かっていない。
左馬頭。年二十歳がらみ。 あらまし以上だが、なお一門格の飛騨景経、内蔵頭信基、....