帝国美術院[語句情報] »
帝国美術院
「帝国美術院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帝国美術院の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
。そして之が、独り文芸に限らず、一般に今日云われる処の「統制」の本質なのである(
帝国美術院の改革問題の本質もここに根ざしている)。――例の明治初年来の教育統制な....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ではなく、或る意味に於ては却って之によって初めて、文化は発展し進歩するのである。
帝国美術院が反帝展派の画家の云うようにどんなに芸術的に見て愚劣なものであろうと、....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
いう証拠にはならぬ。文化統制と雖も、自然的に最少抵抗線に沿って発動するのだから。
帝国美術院の改組は、一寸見ると極めて弾圧的な最大抵抗線を辿って行なわれたように見....
「ある日の経験」より 著者:寺田寅彦
上野の近くに人を尋ねたついでに、
帝国美術院の展覧会を見に行った。久し振りの好い秋日和で、澄み切った日光の中に桜の....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
勢の人と長い時日を要しただけあって原型はなかなか大きなものでありました。今日では
帝国美術院の展覧会でも、また個人の製作にしても随分大作が出来るけれども、まだ明治....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
などで、いずれも私宅へ参って稽古を致し、今日では知名の人となっている。内藤伸氏は
帝国美術院会員の栄職を負う。加藤景雲氏は島根県|能義郡荒島村の出身で大工の家に生....