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帝大
「帝大〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帝大の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「競馬」より 著者:織田作之助
たことは一度もなかった。寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都
帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律....
「第五氷河期」より 著者:海野十三
の精神病部長の馬詰博士、他の一人は、警務部長の多島警視、もう一人は、総監と同郷の
帝大理学部教授の青倉博士、残りの一人は、気象台技師の志々度博士であった。 この....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
のです。社会制度の変化が軍事上の革命を来たした直接の原因であります。このあいだ、
帝大の教授がたが、このことについて「何か新兵器があったでしょう」と言われますから....
「国際殺人団の崩壊」より 著者:海野十三
が、円卓を囲んでずらりと並んでいた。その人数は十七名もあろうか。電気学会長である
帝大工学部長の川山博士の白頭や、珍らしく背広を着用に及んでいる白皙長身の海軍技術....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
入院、それからなおって又出陣。それから終戦となり、幸いに一命は全うしたので、東京
帝大の経済学部へ入学して目下勉強のところ。同君の父君は元海軍大将、元外相、元日鉄....
「とむらい機関車」より 著者:大阪圭吉
れた知識の範囲内で、ひと通りお話いたしましょう。 この片山機関庫助役と言う人は
帝大出身のパリパリでしてな、まだ鉄道としては新人の方なんですが、頭もいいし人格も....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京
帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレ....
「鰻に呪われた男」より 著者:岡本綺堂
お母さん同道で来たらしいのです。そこで、お母さんの話によると、浅井さんの兄さんは
帝大卒業の工学士で、ある会社で相当の地位を占めている。浅井さんは次男で、私立学校....
「四月馬鹿」より 著者:織田作之助
えてしまうのである。 なぜそんなに汚ないのか。いうならば、貧乏なのである。彼は
帝大の学生だった頃、制服というものを持たなかった。中学生の時分より着ているよれよ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
い時の日記はない。この分は今、全部早稲田大学図書館に移管されている。震災に亡びた
帝大図書館のは、ドコから買い入れたか出所来歴を知らぬがそれより以前に滝沢家から出....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
を受けた。また学校の学芸会の際、河合栄治郎氏がしばしば白線入りの一高帽で来たり、
帝大入学後は角帽姿で後輩を指導したことは忘れられず、私が政治に生きたいと考えるよ....
「俗臭」より 著者:織田作之助
た。政江は極秘にしていたが、人々には、今度の縁談の相手が、某伯爵家の次男で、東京
帝大出、高文もパスし、現在内務省計画課の官吏であると、すっかり調べあがっていた。....
「鉄の処女」より 著者:大倉燁子
んだためです。服んだのか、呑まされたか、それは私の申す範囲ではありません。屍体は
帝大の方で解剖することになっています』 なお二三の新聞は夫人が投宿していたふじ....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
ぐさ屋を開業した。この下宿屋にいて、私の持って帰る牛乳と生卵ばかり食わされていた
帝大生の一人に、菊池龜三郎という独法科の学生がいた。のちに日本銀行で重要な地位に....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
も出てもらいたいという先生のおことばだから、宜しくたのむというのである。 私は
帝大の課程こそおえていたが、学校の教師になろうなどという考えは毛頭なかったし、ま....