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「常常〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

常常の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
比叡」より 著者:横光利一
たぞ」 定雄は道を訊き正そうにも通行人がいないのでまた後へ引き返した。千枝子は常常から京大阪ならどこでも知っている顔つきの定雄の失敗に、 「だから、豪そうな顔....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
も知れない。処が実は今日、唯物論による宗教批判の活動は断片的であるにせよ、相当日常常識化されて、次第に大衆化しつつあるということは多分否定出来ない。宗教の欺瞞は....
道徳の観念」より 著者:戸坂潤
という或る独立独自な学問を世間に向かって承認させるには充分であった。尤も極めて日常常識的なイギリスの哲学者自身は、倫理学なるものの学問としての独立性や限界や対象....
離婚について」より 著者:与謝野晶子
なく、陸軍が女に負けたとも申すべきでありませんか。 秋子女史はまた「某実業家は常常子弟に向い、世に処して成功しようと思うには女房に惚れなくては不可んと言われた....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ルクス主義はその表面的な文化支配力を失ったにも拘らず、それはいつの間にか民衆の日常常識となって普及し浸透するようになって来た。夫が表面上退潮すればする程、この普....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
のである。マルクス主義がその退潮にも拘らず却って具体化され地につき或いは大衆的日常常識にまで主体化されるのに平行して、インテリ問題も亦インテリ自身によって(尤も....
科学上における権威の価値と弊害」より 著者:寺田寅彦
らぬ者には必要欠くべからざるものである。京都見物の人が土産話の種とすると同様、日常常識として結構であるかもしれぬが畢竟は絵で見た景色と同様で本当の知識ではない。....
哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
語やカテゴリーだけのことではない。そういう用語・範疇・を使う処の民衆乃至国民の日常常識にあるのである。哲学はそういう日常的思考をその思索省察の歴史的な出発とし入....