年の星[語句情報] » 年の星

「年の星〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

年の星の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
草枕」より 著者:夏目漱石
人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜《せいそう》を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼....
三四郎」より 著者:夏目漱石
なった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。 「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝や....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
石山本願寺時代、信長の雄略を以てしても本願寺門徒を攻め倒すことが出来ず、十一箇年の星霜を費して、やっと媾和している。 しかし、秀吉がその愛児秀頼に、この難攻....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
る、厳有院様《げんゆういんさま》の時代であって、左様、今から考えると、ざっと二百年の星霜を経ている」 「してみると、その歌もその時代に咏《よ》まれたものであろう....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
と、徳川氏が二百年、織田、豊臣氏が五十年、足利氏が百有余年と見て、どのみち五六百年の星霜には過ぎまいと思いました。 もしかして、吉野朝と言ったのが、浄見原《き....
カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
言ってもらいたくてたまらないのだ。が、不意に囚人は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜を経た血の気のない唇をそっと接吻したのさ。それが回答の全部なのだ、老人は....
歳時記新註」より 著者:寺田寅彦
来たのである。秋分点あるいは春分点が天を一廻りして旧位に帰るまでには二万五、六千年の星霜を経ねばならぬ。今から一万二、三千年の子孫の世には北極はとんでもない天の....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
塔|伽藍樹間に聳え、人をして崇敬せしむるものあり。達尊爺々の創建せるも技一千数百年の星霜を経。僧侶数百の武に長じ、軍略剣法方術に達す。 康※帝の治世に西蔵叛す....
妖怪学」より 著者:井上円了
、相生、相剋の理に考えて吉凶を判ずるなり。毎年、その年に当たる星あり。明治二十三年の星は二黒、二十四年は一白、二十五年は九紫等と次第して、本年すなわち二十五年に....
上野」より 著者:永井荷風
た後治療の法を講ぜんとするが如きものであろう。東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。....
帝国劇場のオペラ」より 著者:永井荷風
て早く既に九年を過ぎている。此の間に露西亜バレエの一座も亦来って其技を演じた。九年の星霜は決して短きものではない。西欧のオペラ及バレエが日本の演芸界に相応の感化....
十日の菊」より 著者:永井荷風
上り姿を見るの機を得たのもこの時を以て始めとする。但し帝国劇場はこの時既に興行十年の星霜を経ていた。 わたしはこの劇場のなおいまだ竣成《しゅんせい》せられなか....
申訳」より 著者:永井荷風
如き傾向はいつの時に其の源を発したか。混沌たる明治文明の赴くところは大正年間十五年の星霜を経由して遂にこの風俗を現出するに至ったものと看るより外はない。一たび考....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
けてもまだ白状しない。私がラサ府に着いて居る時分にはそんな責苦を受けながら既に二年の星霜を経たという。 それでも自分の主人に対し一言もこうであったといわぬとこ....