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年子
「年子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
年子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「根岸お行の松 因果塚の由来」より 著者:三遊亭円朝
余《あんま》り大きな声では申されませんが、それでね、若い御新造をお貰いあそばし、
年子《としご》をつゞけさまにお産し遊ばすから、私もある時御機嫌うかゞいに出て、旦....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
治思想に大功績ありしを知る、ただその説の時弊に切にして痛快なるに因り、あるいは青
年子弟の速了するところとなり種々の誤謬を世間に播布せられ、その言の旧慣に反して新....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
。明治四年未十月家督。明治十二年一月十八日卒す。無涯と号す。 ◇二女マサ 嘉永五
年子十一月六日生る。明治二年牟田口重蔵に嫁す。同二十五年八月十日卒す。 (以上先....
「草迷宮」より 著者:泉鏡花
かさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、
年子にお出来なさりますと、申しますので。 随分お望みなさる方が多うございますが....
「時代色」より 著者:岡本かの子
ズである。此矛盾が不思議な調子で時代を彩色る。 純情な恋の小唄を好んで口誦む青
年子女に訊いてみると恋愛なんか可笑しくって出来ないと言う。家庭に退屈した若い良人....
「勉強記」より 著者:坂口安吾
大震災から三年過ぎた年の話である。昨今隆盛を極めているアパートメントの走りがそろそろ現れた頃で、又青
年子女が「資本論」という魔法使いの本に憑かれだした頃でもあった。生活の形式にも内....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
と、きっと準之助氏が一しょだろうと、後を振り返ってみると、白いリネンの服を着た青
年子爵が、二、三間後に立っていた。 子爵と新子とは、微笑んだ。 昨日、傷の手....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
手まといと感じ、遂にはその美徳そのものさえ支え難くなりはしないであろうか? 後
年子供たちがようやく巣立ちに用意しなければならなくなったころ、父は子供たちのこの....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
心|私かに石川氏の心持に敬服したことでありました。 石川光明氏と私とは、嘉永五
年子歳の同年生まれです。私は二月、石川氏は五月生まれというから、少し私が兄である....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
劇場の屋上高くかかげて、ドレミハソラシドの音律を、省線の電車の窓から、数百万の青
年子女に唄わしめんとした私の計画は、新聞紙の広告をはじめとし、あらゆるポスターに....
「木の葉山女魚」より 著者:佐藤垢石
陰にかがんでしまう。味が劣って釣っても食べ物にならないのである。 ところが、二
年子のまだ腹に子を持たない山女魚は、秋になっても体色も変わらず肉も落ちず、青色の....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
積まれた御馳走の皆無になるまで二人は嵐山の山影を浴びて前途の希望を語り合った。後
年子規居士は、自分はあの時ほど身分不相応の贅沢をした事はない、と言った。 話が....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
何なる者を間脇と称したりや、即ち百姓と間脇との区別は何処にありやと云ふに、寛文二
年子の年十月二日元屋村石高小物成牛馬舟家人数指出帳を見るに、 一、家数弐拾六間....
「青い星の国へ」より 著者:小川未明
花など咲いていたからです。 いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた
年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ちかがやきつつ....
「お茶漬けの味」より 著者:北大路魯山人
持たれるかも知れないが)贅沢料理の話である。通の通たる人のよろこぶ話だ。現今の青
年子女は、「金ばかり高くてそんなもの」と言うであろう。 そこでもうひとつ、料理....