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「年表〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

年表の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
女の決闘」より 著者:太宰治
有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さったが、どうも、たいしたことは無い。いっこうに聞い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
な旧本陣の部屋部屋が彼女を待っていた。髪につける油を自分で絞ろうとさえ思えば、毎年表庭の片すみに実を結ぶ古い椿を役に立てることもできた。四人の子を控えた母親とし....
十五年間」より 著者:太宰治
いやつには、言わなくたってちゃんとわかっているのだから。 私はいま、自分の創作年表とでも称すべき焼け残りの薄汚い手帳のペエジを繰りながら、さまざまの回想にふけ....
読書法」より 著者:戸坂潤
、明治二十二・三年を以て筆を止めている。付録として「社会経済構成より見た世界対照年表」と「重要事件の年表」と更に「参考書の解題」とがあり、各章の終りには各節毎の....
火山の名について」より 著者:寺田寅彦
な材料はなかなか急には得難いので、ここではまず最初の試みとして東京天文台編「理科年表」昭和五年版の「本邦のおもな火山」の表を採ることにする。これは現在の目的とは....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
船にて運ばしめ、塚を築きて寺院を建て、国豊山無縁寺回向院と名づけしめ給ふ」と武江年表に書いてあるが、これが回向院の起りである。その明暦の大火は俗に振袖火事という....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
持統天皇の吉野行幸は前後三十二回(御在位中三十一回御譲位後一回)であるが、万葉集年表(土屋文明氏)では、五年春夏の交だろうと云っている。さすれば人麿の想像年齢二....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
では上宮太子御生誕後幾年になる。」 これには鶴見も途方にくれている。傍に一冊の年表でもあれば頼りになるのであるが、それもない。やっとのことで、大正十年が一千三....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
から、琴の音をうるさがらないで都合がいいといっていられました。 潤三郎が『朝鮮年表』という本を作ったのは、よほど前のことです。朝鮮に行きたい希望でしたが、生来....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
哺温泉に行きましたが、あの急な山道を平気で歩いて登りました。 私の制作年表 その後の、私の制作を年代順に並べますと、次のようなものでございます。これ....
ハイカラ考」より 著者:木村荘八
わからない字や言葉は使わないものである。――昭和二年に、大槻如電編輯の『新撰洋学年表』の改版広告が新聞へ出た時、割註を入れて、「御存知の方は御存知なるべし」とあ....
妖怪玄談」より 著者:井上円了
たり。しかるに両人ともに、当代の女王即位の年月と太子の年齢とを知らざるをもって、年表について験するに、果たしてその答えのごとし。またつぎに、その家の店に幾人仕事....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
富ましめたり。これこの画家の特色となすに足るべし。漆山《うるしやま》氏の『浮世絵年表』に従へば菊川英山は慶応《けいおう》三年八十一歳にて歿したりといふ。 渓斎....
日和下駄」より 著者:永井荷風
く堤は取崩されて今見る如き赤煉瓦の長屋に変ってしまった。土手を取崩したのは『武江年表』によれば明治四年四月またここに供長家を立てたのは明治十二、三年頃である。 ....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
明治時代の劇を研究する人々の参考にもなろうかと思って、左の演劇年表を作ってみた。勿論完全な物ではないが、先ずこのくらいの事は知っていても好かろ....