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幹線道路
「幹線道路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
幹線道路の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
常なものである。元々地勢上そういう運命にあり、矢来方面早稲田方面から神楽坂へ出る
幹線道路として年々繁華を増しつつあったわけであるが、震災以後|殊に目立ってよくな....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
沿うて丘をくねくねと曲っている道であるが、その幅は一間ぐらいしかない。これが昔の
幹線道路かと思うと、昔の話にしても異様だ。 しかし現代の幹線第一号の東海道の国....
「曽我の暴れん坊」より 著者:坂口安吾
ころが源氏の天下になり、鎌倉に幕府ができて、京と鎌倉のレンラクで東海道が日本一の
幹線道路になったから、大磯マーケットはみるみるふくらんで、鎌倉近辺で第一番の遊び....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
のあった時分の下町|情緒も影を潜め、水上の交通が頻繁になった割に、だだ広くなった
幹線道路はどこも薄暗かった。しかし環境の寂しい割りに小夜子の家はいつも賑やかであ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
る小僧さんたちにすまなく思わせた。 表通りには鉄道馬車の線路のある日本の中央の
幹線道路でありながら、牢獄《ろうごく》のあった時代からはかなり過ぎているのに、人....
「夜の道づれ」より 著者:三好十郎
に黒くこげたままの燒跡や、貧しい街路樹など――東京の舊市内を出て一里ばかり行つた
幹線道路の、荒れすさんだ光景と、その車道と歩道の境目の所に立つている三人の男の姿....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
は、近頃植えた並木や、一里塚もできていた。汐入から日本橋へゆく道は、新しい市街の
幹線道路なので、わりあいに歩きよいが、それでも、石や材木をつんだ牛車がひっきりな....