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「幼名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

幼名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二老人」より 著者:国木田独歩
きわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。 徳....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
レ道さん、道さん」と余を呼ぶ者が有る。 「道さん」などと馴々《なれなれ》しく而も幼名《おさなな》を以て余を呼ぶ者は外に無い、幼い時から叔父の家で余と一緒に育てら....
食魔」より 著者:岡本かの子
旋するさまも趣味人の間には好もしかった。人々は戯れに千の与四郎、――茶祖の利休の幼名をもって彼を呼ぶようになった。利休の少年時が果して彼のように美貌であったか判....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
。 武田の家は、源義家の弟|新羅三郎義光の後で、第十六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将軍足利義晴より諱字を賜り、晴信と称した。この年父信....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
ことを知らしめた信秀が年四十二をもって死んだ。信秀死する三年前に古渡城で元服して幼名吉法師を改めた三郎信長は、直に父の跡を継いで上総介と号した。 信秀の法事が....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
を握って誕生した。だから政宗は満海の生れ代りであろうと想われ、そして梵天丸という幼名はこれに因りて与えられた。梵天は此世の統治者で、二生の人たる嬰児《えいじ》の....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
ようさよう只今の名は葉之助殿でござったな。しかしやっぱり猪太郎じゃ。さよう少くも幼名はな」神々しい姿のその人はこう云うと莞爾に微笑んだが、「何んとそうではござら....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
四年二月十六日に、安房ノ国|長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州....
天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
一 天草騒動の張本人天草四郎時貞は幼名を小四郎と云いました。九州天草大矢野郷越野浦の郷士であり曾ては小西行長の右筆....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
いばけものが現われるたびにカラカラとうち笑つて「それしきのことに驚く無人(大将の幼名)ではないぞ」という同じせりふを何べんとなくくり返した。もちろんそれは弁士の....
三甚内」より 著者:国枝史郎
く、ゆえに自ら飛沢と号す。 勾坂甚内の生長は、甲州武田の長臣高坂弾正が子にして、幼名を甚太郎と号しけるに、程なく勝頼亡び真忠の士多く討ち死にし、または徳川の御手....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
「カネ久(尾道にある倉田家の宗家)のみつのさんはどう思う。お祖母さんが百松(私の幼名)といいなずけにするといいといってらしたそうだけれど」 「あんな、ちっぽけな....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
ら、筋肉が救われるなら、その外、何を人は望もう。ところで私は岩次郎=これは聖者の幼名=の求道の望みを知ってだいぶこの聖者に対する敵愾心が薄らいで来た。それはこう....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
足かけ十年前、後鳥羽院は十二歳の年上であらせられる。父は源|頼朝、母は北条政子、幼名|千幡。正治元年千幡八歳のとき、父が相模川の大橋の落成式に行って、馬から落ち....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
たら、人生は骨折りも努力もいりません。 千の与四郎というのは茶道の名人、利休の幼名ですが、秋の庭の趣を添えるために、庭に落葉をひと散し落して置いたというのが彼....