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延喜
「延喜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
延喜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
に、冴々《さえざえ》した御笑声《おわらいごえ》で、
「いや、何とも申されぬ。現に
延喜《えんぎ》の御門《みかど》の御代《みよ》には、五条あたりの柿の梢に、七日《な....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
、大裏交りは珍らしや」と愚弄されるのも癪に触る。その上、素朴な一般武士の頭には、
延喜|天暦の昔に還らんとする、難しい王政復古の思想など、本当に理解される訳はない....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
、その後、夷族再び勢力を恢復して、北部地方はいつしかその手に落ちたものと見えて、
延喜の「民部式」収むるところ、陸奥国府の所管は北方気仙・胆沢・江刺の地方に限られ....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
の嶺上に散らし奉ったとある。されば天皇の御為には山陵の役を起さず、この君に限って
延喜式にも、諸陵寮の条に山陵の記事がない。これはすなわち骨を除散せしめた大蔵の顕....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
クグツは蟆人の義ではなかろうかというのである(五巻一号二二頁―二三頁)。それには
延喜式内|久久都比売神社、倭姫世記の久求都彦の名を引合いに出したのであったが、当....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
られていた当山の大遺蹟が、いよいよ世に出るべき機運を造ったものだ。 石城山には
延喜式内|石城神社がある。今は郷社の社格であるので、郡視学たる西原君は郡長に代り....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
伝説の附会したものである。 足長の神は他に所見が少いが、手長の神は各地に多い。
延喜式には、壱岐国壱岐郡|手長比売神社、同国石田郡|天手長男神社・天手長比売神社....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
仙北のうちなのだ。それを総称して時にあるいは仙北郡ともいった。今の仙北郡はほぼ『
延喜式』に見ゆる山本郡の域に当り、いわゆる仙北の一部たるに過ぎぬ。そして今の山本....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ものになるのは自然の勢いでありましょう。しかし守戸はどこまでも良民で、筋がよい。
延喜式にも明らかに陵戸と守戸とを区別してあります。守戸はかく筋がよいのであります....
「沙門と屠児」より 著者:喜田貞吉
沙門と屠児 喜田貞吉 三善清行の「意見封事」に、
延喜頃の人民が課役を避けんが為に出家して、天下の民三分の二は皆禿首というの状態と....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
があったそうな。「賤者考」には、東国にてエタを俗にエッタボウシというともある。「
延喜式」に、 。 とある濫僧を、ロウソウと読んで、弘安頃の「塵袋」には、エタの....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
に堪えかねた公民等が、自ら身を沙門に扮して出家逃亡するに至った浮浪民の群である。
延喜の時代において三善清行は、公民が課役を避けて逃亡し、為に課丁の甚だしく減少し....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
信仰から、この役所はしばしば廃せられたり、また復活したりしたことがあったが、結局
延喜の頃には、既に永く廃止の運命に遭遇してしまったものである。したがって主鷹司所....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
の場合は百姓を以てこれに充て、その徭役を免じて三年交替の制を立てられた。これが「
延喜式」にいわゆる「守戸」に相当するものであろう。「
延喜式」には守戸は十年交替と....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
神には、勅によって菩薩号を授け奉るとある。 常陸に現れた大己貴・少彦名神が、『
延喜式』に薬師菩薩とぞなりにける」とある。 これは天竺の話を書いたのではあるが....