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建白書
「建白書〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
建白書の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
を察して、幕府をしてその終りを全うせしむる意味で、大政奉還の止むなき所以を説いた
建白書を、慶喜に呈した。当時在京中の慶喜悟る所あり、十月十三日在京の諸大名群臣を....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
種々の政弊を世人に認めしむるに至る。 西南の役に当たり兵馬|倥偬の際に、矯激の
建白書を捧げ、平和の手段をもって暗に薩州の叛軍に応じたるかの土州民権論者は、大久....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
が続出した。越前家でも備前家でも黙ってみている場合でないとして、不賛成を意味する
建白書を幕府に提出した。それを約めて言えば、旧冬尾州の御隠居を総督として長州兵が....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
た。
――歯齦の血で描いたお雛様の掛軸――(女子大学卒業生作)
――火星征伐の
建白書――(小学教員提出)
――唐詩選五言絶句「竹里館」隷書――(無学文盲の農夫....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
。 熊本の郷軍同志会は、東京に於ける全国在郷軍人大会を数日後に控えて、決議書と
建白書とを両軍部大臣に提出した。その
建白書に曰く、 「国体明徴に対する政府今回の....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
教えていた××安芸守《あきのかみ》という旗本で、法親王が白河へお落ちになってから
建白書のようなものを書いて死んだ人であり、身寄りにも上野の彰義隊《しょうぎたい》....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
あきのかみ》は、白河で切腹したとき、上野の法親王にはお咎《とが》めのないようにと
建白書のようなものを書いたのだときいていたが、おばあさんに正すと、遠い昔の物語り....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。そこで一通の
建白書を作り、後藤象二郎、福岡孝悌、この二人の家臣をして将軍慶喜に奉らしめ、平和....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
の書類を、仕舞いかけた。
「何を書いていた?」
「斉彬公が、御世継となれば、一つ
建白書を出そうと思うてな、下書をしていた」
俊斎が、手を出して
「一寸、見せて....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
ゅつ》は慈善に非ず』Giving Alms no Charity. と題する議会
建白書の中でダニエル・ドゥ・フォウがはっきりと述べているところである。工業に救貧....
「汽船が太平洋を横断するまで」より 著者:服部之総
が後日ヨコハマへ入ってくる。 ところで、左の一文は、太平洋汽船航路設定に関する
建白書にたいしてなされた米国海軍委員会の報告である。 「カリフォルニアの獲得は....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
、翌三年二月になると、兵部大丞《ひょうぶたいじょう》黒田清隆の名において、反対の
建白書が提出された。検察庁と軍部からのこの攻撃は大隈、伊藤に不正があるというので....
「志士と経済」より 著者:服部之総
もん》上書にあわせて宮崎司のペンネームで国臣から秘かに筑前藩主の手もとへ差出した
建白書の草稿は、国臣の伝記者春山氏によって白石家文書のなかから発見されたものだが....
「新撰組」より 著者:服部之総
者は、必らず非常の士を用ふ――。 清河八郎得意の漢文で、文久二年の冬、こうした
建白書を幕府政治総裁|松平春嶽《まつだいらしゅんがく》に奉ったところから、新撰組....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
国条約取極められ候ほどの儀につき、皇国内の儀とも違ひ云々」。 そのときの水戸
建白書は文政二年打払令(一八二五年)そっくりの口ふんを漲《みなぎ》らせたものだっ....