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「弑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

弑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
も此の宝に対しても猶無用心と云っても宜い、増して其の時代が閣竜英の乱の時で国王はせられ貴族は憎まれ、贅沢品は容赦なく取り上げられる物騒の極で有った事を思えば、....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
亦安全であるに違いない。殷鑒遠からず、現に嘉吉元年将軍|義教は、重臣赤松|満祐にされて居るのである。 亦飢饉時の普請にしても、当時後花園天皇の御諷諫に会うや....
近時政論考」より 著者:陸羯南
を保するに足る、もし暴君暗相ありて虐政を行なうときは万民のこれに対する手段はただ逆放伐あるに過ぎず。以上は西人のわが東洋政事を評する大略なり、東洋人はもとより....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
?」 「……その代り妾もお後を追い……」 「うむ、心中というやつだな」 「……おし致さねばなりません。……おしすることは出来ません。……恨みあるお方! 恋し....
運命」より 著者:幸田露伴
やと。敬曰く、隋文揚広は父子にあらずやと。敬の言実に然り。揚広は子を以てだに父をす。燕王の傲慢なる、何をか為さゞらん。敬の言、敦厚を欠き、帝の意、醇正に近しと....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
唐の昭宗皇帝は英主であったが、晩唐の国勢振わず、この洛陽で叛臣|朱全忠のためにせられたのである。(同上) 我来也 京城の繁華の地区には窃盗が極めて多....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
これよりして忠三郎は信長に従って各処の征戦に従事して功を立てて居り、信長が光秀に《しい》された時は、光秀から近江《おうみ》半国の利を啗《くら》わせて誘ったけれ....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
葉之助は自宅の一室で、鼻紙の中の白い粉を、睨むように見詰めていたが、 「若君|虐の大秘密は、この粉の中になければならない」こう口の中で呟いた。 「笛のような....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
ましい悲劇を語り顔に、床の上に捨ててあるばかりで、王も王妃も居ないのである。 「虐か、それとも救い出されたか?」 要するに此二つであった。 併し恐らくせ....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
で将軍家をどうして奪ったかわからない。どこに将軍家を隠しているか、それとも無慚にしたか、これでは一向見当が付かない。……一人でもよいから銅銭会員をどうともして....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
1 「将軍|義輝がされた。三好|長慶が殺された、松永|弾正も殺された。今は下克上の世の中だ。信長....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
って、華々しくご最後を遂げさせたいのだ。……で、道は二つしかない。太閤を守備よくするか、そうでなかったら戦うかだ。で、お前に俺は頼む。もう一度伏見城へ忍んでく....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
州堺では大内義弘の謀叛がある。鎌倉には管領持氏の乱が起こる。赤松満祐は将軍義教をして、播州に楯籠る。こうした兵乱がそれからそれへと更に七十年ほども続いた。 ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
あったが、鶴ヶ岡八幡宮に右大臣の拝賀の式を行う夜更け、帰るさを別当|公暁のためにせられた。公暁は頼家の遺子であるが、実朝は父の敵であるとそそのかされて決行した....
古事記」より 著者:太安万侶
マトタケルの命の妃《きさき》になりました。 サホ彦の叛亂 ――サホ彦は天皇を殺しようとした叛逆者であるが、その子孫は、日下部の連、甲斐の國の造等として榮え....