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当世書生気質
「当世書生気質〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
当世書生気質の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「科学と文学」より 著者:寺田寅彦
清新と考えられたものを愛読し暗唱した。それ以前から先輩の読み物であった坪内氏の「
当世書生気質」なども当時の田舎の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであ....
「文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
を提唱したのであった。しかも猶、この新しい写実文学の提唱者によって書かれた小説「
当世書生気質」が、作品としては魯文の血縁たる強い戯作臭の中に漂っていた。 二年....
「今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
悪玉の観念を排し、社会と人間との現実を描くことを慫慂《しょうよう》した逍遙が、「
当世書生気質」の描法にはおのずから自身が明治社会成生の過程に生きた青年時代の社会....
「作家と教養の諸相」より 著者:宮本百合子
文学の影響をもちながら、作家気質の伝統は戯作者気質の筋をひいていた。坪内逍遙の「
当世書生気質」は、日本の近代文学の第一歩の導きとなって彼の近代小説論「小説神髄」....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
、風邪でふせっている令嬢の気ばらしに、「当時評判の坪内逍遙さんのお書きになった『
当世書生気質』という小説本をもって来てくれました。私は、その小説をよんで居ります....
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
書くというように考えられ、いわれていた時代であった。 「藪の鶯」は、坪内逍遙の「
当世書生気質」(一八八五)の影響と模倣によって書かれた。「藪の鶯」は当時二十一歳....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
常によく分る。明治二十年代に三宅花圃が「藪の鶯」という小説を書いた。坪内逍遙が「
当世書生気質」を発表した頃で、それに刺戟され、それを摸倣して書いた小説であり、当....
「祖父の書斎」より 著者:宮本百合子
自分の部屋にして、こわれかかったような本棚をさがし出して来て並べ、その本棚には『
当世書生気質』ののっている赤い表紙の厚い何かの合本や『水沫集』も長四畳のごたごた....
「本棚」より 著者:宮本百合子
鴎外『美奈和集』、同じ人の三十五年二月発行『審美極致論』が埃にまびれて現れた。「
当世書生気質」を収録した『太陽』増刊号の赤いクロースの厚い菊判も、綴目がきれて混....
「時代と人々」より 著者:宮本百合子
書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「
当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ島の宝物を満載して帰る桃太郎の船」のように世間....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
にそれにひっぱられて喋くっているのでしょう。精神というものが低い。戯作者気質が「
当世書生気質」で終っていない。そこが日本の文学の美の内容をひきずりおろしている。....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
て。面白いでしょうね、たのしみです。ポツリポツリと『中央公論』にでものせてね。「
当世書生気質」の逍遙の插画と長原止水の絵との時代的相異。明星時代と印象派の画家た....
「日記」より 著者:宮本百合子
れ、心持わるく何も出来ず。 明治三十年の『太陽』の増刊、紅葉の「二人女房」、「
当世書生気質」、「浮雲」等をよみ、驚く。たった二十年位の間に文学の進歩し、自由に....
「上野」より 著者:永井荷風
三快ヲ鬻グ者ハ亦新繁昌中ノ一洗旧湯ナリ。」と言っている。 小説家春の家おぼろの
当世書生気質第十四回には明治十八九年頃の大学生が矢場女を携えて、本郷駒込の草津温....