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当麻
「当麻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
当麻の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
は、そのかみ垂仁《すいにん》天皇の七年に、はじめて野見《のみの》宿禰《すくね》と
当麻《たいまの》蹴速《けはや》とがこの国技を用いて以来、古今を通じて歴史的に最も....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
ある。重昌その日の出立は、紺縅鎧に、金の采配を腰に帯び、白き絹に半月の指物さし、
当麻と名づける家重代の長槍を把って居た。城中の兵、眺め見て大将と認め、斬って出る....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
持った人たちがおおぜいで道をふさいでおります。大和の方へおいでになりますのなら、
当麻道からおまわりになりましたほうがよろしゅうございましょう」と申しあげました。....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
手記に在る。 同年一月十九日、芝能楽堂で亡能静師の追善能があった。翁も能一番(
当麻?)をつとめた筈であるが、その当時の記録は今、喜多宗家に伝わっている事と思う....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
桜井より初瀬にいたる街道、南は岡寺、高取、吉野等への道すじ、西は高田より竹の内、
当麻《たいま》への街道、北は田原本《たわらもと》より奈良|郡山《こおりやま》へ、....
「死者の書」より 著者:折口信夫
昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓って居るのすら見える。
当麻路である。一降りして又、大降りにかかろうとする処が、中だるみに、やや坦くなっ....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
《あくが》れさえいだいて来たものだ。そうして或る晴れた日、その麓《ふもと》にある
当麻寺《たぎまでら》までゆき、そのこごしい山を何か切ないような気もちでときどき仰....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
○ 吾背子はいづく行くらむ奥つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ 〔巻一・四三〕
当麻麿の妻
当麻真人麿の妻が夫の旅に出た後詠んだものである。或は伊勢行幸にでも....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
って来た。翁はあわてて惑う人々を案内して人家のある所まで伴れて往ってくれた。翁は
当麻の酒人と云う神奴の一人であった。翁は豊雄に向って、「邪神は年経たる蛇なり、か....
「女性の諸問題」より 著者:倉田百三
宮中に講じ、賞与の布帛を賜ったので、その名誉を母に伝えて喜ばそうと、使に持たせて
当麻の里の母の許に遣わしたところ、母はそのまま押し返して、厳しい、諫めの手紙を与....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
だけが記憶に残っている。中将姫の時、奉納した額の若顔の彼の中将姫のおし絵を、後、
当麻寺で発見して懐しかった。源之助はこの朝日座を中心として五年間程居て、二十九年....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
儀式・信仰にしあげる為に、民俗民俗にはたらいた内存・外来の高等な学の智慧である。
当麻信仰には、妙に不思議な尼や、何ともわからぬ化身の人が出る。謡の「
当麻」にも、....
「寄席行灯」より 著者:正岡容
きつ》がきっと、あの甲高い、はち切れたあけびの実みたいな声をあげて、 ※あれは
当麻《たいま》の 中将姫だよ やっとよーいやさ あーれはありゃりゃんりゃん....
「大力物語」より 著者:菊池寛
、打つ蹴る投げるといったように、ほとんど格闘に近い乱暴なものであった。武内宿彌と
当麻のくえはやとの勝負に近いものだ。 だから、国々から選ばれる力士も、その国で....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
にいた国民であった。その中においていわゆる万歳氏の如きは、葛下郡北部に占居して、
当麻・染野・今在家・鎌田・勝根・大橋・中・野口・市場・池田・大谷・築山・神楽・有....