待賢門[語句情報] » 待賢門

「待賢門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

待賢門の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の史劇「悪源太」が明治座で上演されたことである。それは三十二年十月興行の中幕で、待賢門の大庭で義平が重盛を追うくだりと、石山寺で義平が生捕られるくだりとの二場、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
れぬる春もいくとせ 治まらぬ世の人ごとのしげければ桜かざして暮らす日もなし 新待賢門院。後醍醐の妃。隠岐へお伴された。後村上天皇の御母儀。後皇后に昇られ、正平....
穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
は公事根源より抄録する。 大寒の日、夜半に陰陽師土牛童子の像を門口に立つ。陽明待賢門は青色の土牛をたつ。美福朱雀門には赤色なり。談天藻璧門は白色なり。安嘉偉|....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に、狂奔する牛に付いて、八省門へ入るつもりだったが、そこまで迂回する間も待てず、待賢門が開いていたのを幸い、そこへ向って、逃げ入ろうとするらしかった。 部下の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
稀になりにけり わが世の末の ほどぞ知らるる と、詠み出られた一首を、看護の新待賢門院廉子へお示しになっていたという。 そのお歌にもはや、これまでの後醍醐に....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
る男女の出家は、みな前時代の遺習を継いだものといえよう。――西行、文覚、池ノ尼、待賢門院、信西、為義、妓王妓女と仏御前――なお先々には小督の局、康頼の出家、滝口....