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後嗣
「後嗣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後嗣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
は出てこようがないとしてあるんだ。けれどもだ、おやじは俺が大の自慢で、長男は俺の
後嗣《あとつ》ぎ相当に生れついているが、次男坊はやくざな暴れ者だで、よその空での....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
来ず、又生涯所天を持たぬと云う事は余の叔父が許すまい、叔父は只管此の家に然る可き
後嗣ぎの出来て子孫の繁栄する事を祈って居るから。
殊に又秀子の心も此の約束で分....
「義民甚兵衛」より 著者:菊池寛
)どうしよう。どうしよう。 甚吉 仕方がねえ。わし行くぞ。 おきん 阿呆いうな。
後嗣のお前に万一のことがあったらどうするんじゃ。われは行くんじゃねえ。 甚三 兄....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
。翁は十年の長い年月、草木谷という山中の四畳半ぐらいの草屋に単身起居し、その後、
後嗣の死に遇い、やむなく家に帰った後も、極めて狭い庵室で一生を送った。この簡素極....
「食魔」より 著者:岡本かの子
対し、何の愛憎も消え失せているといった。しかし、このまま捨置くことなら檜垣の家は
後嗣絶えることになるといった。 甥の檜垣の家が宗家で、伯母はその家より出て分家....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
くら戦国時代でも、長く秘密が保たれるものではない。 信玄に威服していた連中は、
後嗣の勝頼頼むに足らずとして、家康に※を通ずるものが多い。その最たるものは、作手....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
芸風とは今も尚流内の人口に膾炙している。 然るに博多順正寺に在る只圓翁の墓は、
後嗣梅津謙助氏が遠隔の地に居らるる故か久しく忘れられていた。ただ旧門下で小謡組で....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
供える者がない。……一人の女があればこそだ」 一体「不孝には三つの種類があって
後嗣ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而」これもまた人生の一大悲哀だ。....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
ある子であった。風守の母が死んで、後添いにできたのが光子と文彦だ。異母弟の文彦を
後嗣にするため、風守をキチガイ扱いに座敷牢へ閉じこめてしまったのだという世間の噂....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
をうる者は重二郎であろう。なぜなら、彼の実子たる二人は主家の外孫で、それが主家の
後嗣の最も有力な候補者であろうからである。 この疑いは当然誰の頭にも起ることで....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
の十月中旬です。 西紳六郎氏にお子さんがありませんので、赤松家の末男が今西氏の
後嗣です。それは於菟さんの叔父に当る方でしょう。 寄席 千住大橋に近く野....
「荘子」より 著者:岡本かの子
老子の二聖は歿して、約一世紀半ほどの距てはあるがいわゆる「学」と称えられるものは
後嗣の学徒によって体系を整えて来はじめ、それと伍して幾つもの学派が並び起った。 ....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
が身が二つになると同時に、生れた子供を連れて離縁になることになりました。宗兵衛の
後嗣と云うのが、非常に物の判った人と見え、子供の養育料として一万両と云う可なりな....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
それ故にこそ、自分は手を洗う一杓の水も半杓しか使わず、半杓は元へ帰してその功徳を
後嗣者に譲り与えるというような譬喩を以て用意のほどを示されております。しかも永平....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
った。一七六二年一月十九日すなわち大王悲境のドン底に於て露女王の死を報じて来た。
後嗣ペーテル三世は大の大王崇拝者で五月五日平和は成り、二万の援兵まで約束したので....