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「後漢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

後漢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
国語音韻の変遷」より 著者:橋本進吉
、漢語においては、もとより語尾にiまたはuが来るものが少なくなかったが、平安朝以後漢語が多く国語中に用いられると共にかような音も頻《しきり》に用いられ、自然イや....
十二支考」より 著者:南方熊楠
穴中に猟し数虎を格殺《うちころ》した、その穴に道士の冠服遺髪甚だ多かったと見ゆ。後漢の張道陵が蟒《うわばみ》に呑まれたのをその徒が天に上ったと信じたのにちょっと....
十二支考」より 著者:南方熊楠
弑《しい》して位を奪うた。今に至ってもその辺の土人は兎を猟《と》らぬと見え、また後漢の劉昆弟子常に五百余人あり、春秋の饗射ごとに桑弧《そうこ》蒿矢《こうし》もて....
十二支考」より 著者:南方熊楠
マ人のほかに蛇で人を刑した例は西洋に少なからぬじゃ。東洋では『通鑑《つがん》』に後漢の高祖が毒蛇を集めた水中に罪人を投じ水獄と名づけた。また仏経地獄の呵責を述ぶ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
よ》むといえり、篤信いわく、馬は神代よりありて、後代に唐より良馬渡りしにやと。『後漢書』東夷列伝に、〈倭《わ》韓の東南大海中にあり云々、その地おおむね会稽《かい....
十二支考」より 著者:南方熊楠
ありと記す。現に座右にあれどちょっと多冊でその文を見出さず。註にあらば晋より前、後漢の時既にこの説あったはずだが、疏にあらば晋より後のはずでいずれとも今分らぬ。....
十二支考」より 著者:南方熊楠
らずとも、暴力これ貴んだ中古の初め、欧州にこの風行われたは疑いを容《い》れず。『後漢書』南蛮伝に交趾の西に人を※《くら》う国あり云々、妻を娶って美なる時はその兄....
十二支考」より 著者:南方熊楠
起って南北諸隣国へ弘まったというのだ。それから『叢考』に十二禽を十二支に当てるは後漢に始まったと論じた。しかし『古今要覧稿』五三一に、前漢の書『淮南子《えなんじ....
成仙」より 著者:田中貢太郎
文登の周生は成生と少い時から学問を共にしたので、ちょうど後漢の公沙穆と呉祐とが米を搗く所で知己になって、後世から杵臼の交といわれたような....
妖怪学」より 著者:井上円了
書』に、「哀帝建平二年、彗星の出ずるありしに、当時|王莽、纂国の兆しとなせり」『後漢書』に、「安帝永初二年正月、大白昼見えしことあり。これ、※氏の盛んなる兆しと....
妖怪学一斑」より 著者:井上円了
ろを申しますると、『漢書』哀帝建平二年、王莽が漢室を奪ったときに彗星が現出し、『後漢書』安帝永初二年正月、大白星昼現れたるは、※氏盛んなりたる兆しなりといい、ま....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
三蔵というような人がインドに旅行して持って帰る。少しずつ持ってきたのを翻訳した。後漢の時代から宋の時代までに、九百六十年間に百七十余人の学者が、その中にはシナ人....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
して、漢と交通を開いたものであったが、中にも今の筑前博多地方にあった奴国の王は、後漢の光武帝の時に入貢してその冊封を受け、印綬を賜わったことが後漢書に見えている....
穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
牛馬犬猿※は人に畜《やしな》はれ、人の用をなす故に、継ぎて産死の穢あり(中略)。後漢書に、以牛祭神とあり、広洲記に殺牛取血、和泥塗右手背祀とあり、これら神も真の....
黒田如水」より 著者:吉川英治
いて手綱をうけた。そして一巡、乗らずに引き廻して見ていたが、三嘆して、 「むかし後漢の呂布が愛していたという赤兎にも勝りましょうな。書写山とは、馬の名もよし、安....