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後藤新平
「後藤新平〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
後藤新平の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「満韓ところどころ」より 著者:夏目漱石
幕の上に、大《おおき》な額がかかっていた。その左りの端に、小さく南満鉄道会社総裁
後藤新平と書いてある。書体から云うと、上海辺《シャンハイへん》で見る看板のような....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
東京市民の大部分は皆驚いた。そうして変に思った。 東京市長永田秀次郎氏は、
後藤新平氏のあとを受け継いで東京市長の椅子に座ると間もなく、彼《か》の大変災に出....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
う、僕は彼女に同志としてのそれだけの信用がなかったのだ。僕はその金を時の内務大臣
後藤新平君から貰って来たのだ。 その少し前に、伊藤がその遠縁の頭山満翁のところ....
「縮図」より 著者:徳田秋声
地主の娘として生まれ、少女時代を東京で堅い屋敷奉公に過ごし、その屋敷が時代の英傑
後藤新平の家であり、目端の利くところから、主人に可愛がられ、十八までそこの奥向き....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
生の法螺丸氏に読んで聞かせた。するとその翌る日のこと、東京市長をやっていた親友の
後藤新平氏が遣って来たので、法螺丸は早速引っ捉えて講釈を始めた。 法螺丸「貴公....
「三面一体の生活へ」より 著者:与謝野晶子
将軍の遺書が伯爵|寺内正毅氏に由って書き替えられたと公言せられ、また同時に男爵|
後藤新平氏の私有財産は二千万円に達している、それは後藤氏の労働から収得した正当な....
「明治のランプ」より 著者:宮本百合子
そこに長男であった父精一郎はじめ、何人かの青年が暮した。伊東忠太博士、池田成彬、
後藤新平、平田東助等の青年時代、明治の暁けぼのの思い出の一節はその塾にもつながっ....
「一九二五年より一九二七年一月まで」より 著者:宮本百合子
バを時々ガタガタ云わせる。 小さい鼻、目、女のようなところあり、さっぱりせず。
後藤新平の自治に関する講演 ひどく生物哲学を基礎とする自治本能という。 「私が....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
だ、間もなくこちらが先きであったか先方が先きであったか熱海を引き揚げてしまった。
後藤新平子を見たのも熱海であった、或晩散歩をしていると、書生に提灯《ちょうちん》....
「女性の諸問題」より 著者:倉田百三
の母親の場合であるが、立志伝などではこの場合が非常に多いようだ。ブース大将の母、
後藤新平の母、佐野勝也の母などもそうである。また貧しい家庭では、たとい父親のある....
「荒蕪地」より 著者:犬田卯
税のまま放置されている『荒蕪地』なるものを民間に払下げる案をたて、帝都復興院総裁
後藤新平はそれによってお得意の大風呂敷を拡げ、「大東京計画」なるものをでっち上げ....
「十五年」より 著者:山本実彦
。「労農新旧経済政策」と題する熱烈、堂々たる構策で、これにたいし我が私設代表たる
後藤新平氏も「対露意見」を翌月我が誌に発表して一世の注目を惹いた。 それから我....
「武鑑譜」より 著者:服部之総
書かれているのである! そのサンプルを、秘書官|原敬《はらたかし》や三等技師下|
後藤新平《ごとうしんぺい》や、奏任五等|珍田捨巳《ちんだすてみ》等々について示せ....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
日、山口定雄死す、四十七歳。これも新派劇の一頭領なり。 ○十一月十一日、満鉄総裁
後藤新平が主宰となり、清国の溥倫貝子殿下を歌舞伎座に招待して演劇観覧。 ○十一月....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
清正の経営に成った大道を自動車で快走しながら、ふと車の中で思い出したことは、
後藤新平と京浜国道のことだった。今の京浜国道は、
後藤新平が東京市長時代に設計され....