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「得能〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

得能の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蘭学事始」より 著者:菊池寛
にその書状を指し示した。それは、いかにも町奉行|曲淵《まがりぶち》甲斐守の家士、得能万兵衛から、明四日千住骨ヶ原にて、手《しゅ》医師何某が腑分をすることを、内報....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
将で、文芸の趣昧ふかく、詩にはおなじみの、 |霜満秋気清 数行過雁月三更 越山併得能州景 遮莫家郷|憶 の詩があり、歌には、 ものゝふのよろひの袖を片しきし枕....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
日に大蔵省印刷局の編修になった。身分は准判任御用掛で、月給四十円であった。局長|得能良介は初め八十円を給せようといったが、枳園は辞していった。多く給せられて早く....
今日の文学の諸相」より 著者:宮本百合子
標本として、中野重治氏の「空想家とシナリオ」の車善六という人物の出現、伊藤整氏の得能五郎の存在、徳永直氏の一田福次の存在にふれておられた。 一つの着眼であると....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
って、五つの小さい山があったから、詩人は五岳とも呼んでいた。これは南北朝の頃土居得能二氏が長門の探題北条英時を討取った場所だが、ここらへもよく遊んだものである。....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
ていた鵜飼三二さんなどもこの仲間で、玉川の三二さんは、活きた字引といわれ、後には得能さんの顧問役のようになって、毎日友人の間を歴訪して遊んでいました。父の椿岳が....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
であり、完成です。ところが、あれのエピゴーネンが出て来ていてね。この頃は伊藤整の得能五郎、徳永直の某、そういう出現を、平野というもとからの文芸評論をかく人が、現....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
のであったとは言え、もはや半ばは獣につくものであった。 白帆会の会員の二年生に得能という美しい少年がいた。 この少年は遠山のような眉と、やわらかな感覚的な肢....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
―仕事の量である。しかしながらこの仕事の多少は、必然的に、下層階級の人民の食物獲得能力が依存する労働の労賃を左右するであろう。そしてその国の仕事の増加が緩慢であ....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
、島地黙雷、南条文雄、村上|専精《せんじょう》、森田悟由、釈雲照、勝峯大徹、織田得能らのごとき、これらの人々は輦轂《れんこく》のもとに勢力を有しておった。地方に....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
成はほろびてもその子の正行がいる。そのほかにも奥州の北畠、九州の菊池、四国の土居得能、それらはいずれも南朝に忠節を尽くそうとして、思い思いに機会をうかがっている....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
椿岳の浅草絵と鼎立して大に江戸気分を吐こうと計画した事があった。当時の印刷局長|得能良介は鵜飼老人と心易くしていたので、この噂を聞くと真面目になって心配し、印刷....
私本太平記」より 著者:吉川英治
づく近衛の儀仗には、足利高氏、直義の兄弟があたり、さらに赤松円心の千余騎、土居|得能の二千、結城、長沼、塩冶勢などの数千騎が、果てなくお供にしたがって、沿道は、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
をあげて、義貞の指揮のもとに就いたのだった。 あとでは分った。 四国の宮方、得能一族や土居の軍勢だったのである。それが海路の途中ではしなく足利方へ加勢におも....
『唯研ニュース』」より 著者:戸坂潤
の裡に、超理論的な妄動性の一面を、可能性として持っていることを忘れるならば、被説得能力の誤算となるだろう。大衆に対する理論的説得力の問題は、大衆のこの妄動性(デ....