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「御三家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御三家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
出来るか其処《そこ》は聞かんが、是は何か京都の大内から将軍家へ参って、将軍家から御三家御三卿方へ下されに成って、たしない事で有るから其の又家来共に少しずつ之を頂....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
の子鶴松を高松に送って、嗣子たらしめた。 だから、高松藩は、徳川宗家にとっては御三家に次ぐ親しい間柄である。従って、維新の時、一藩|挙って宗家大事という佐幕派....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
金が有るそうだな?」 殿と呼ばれる四十男は、此処でキラキラと眼を光らせた。 「御三家筆頭の尾張様、唸る程黄金はございましょう」 三十がらみの男が云った。 「....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
燈連綿としてここに四百年、教権の広大もさることながら、江戸宗家を初め紀、尾、水の御三家が並々ならぬ信仰を寄せているゆえ、将軍家自らが令してこれに法格を与え、貫主....
老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
る。 対馬守は黙然として、静かに歩いていった。 右は水を隔てて高い土手。左は御三家筆頭水戸徳川のお上屋敷である。――その水一つ隔てた高い土手のかなたの大江戸....
十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
じゃ。それにつけても肥後守は、――会津中将は、葵御一門切っての天晴れな公達よ喃!御三家ですらもが薩長の鼻息|窺うて、江戸追討軍の御先棒となるきのう今日じゃ。さる....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
は言うまでもなく、義公、武公、烈公のような人たちが相続いてその家に生まれた点で。御三家の一つと言われるほどの親藩でありながら、大義名分を明らかにした点で。『常陸....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
聚日本紀』なぞを選んだ源敬公の遺志をつぎ、つとに尊王の志を抱いたのであった。徳川御三家の一つではありながら、必ずしも幕府の外交に追随する人ではなかった。この御隠....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
国の大藩の向背が非常に大きな影響をあたえたことを記憶しなければならない。いわゆる御三家の随一とも言われたほど勢力のある尾張藩が、率先してその領地を治め、近傍の諸....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
は、五人連れの若い侍たちでありました。 「これは勤番《きんばん》のお侍でもなく、御三家あたりの御家中でもなく……左様、やはり、お江戸の旗本衆のお若いところ」 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れは易者を看板にしているが本当は易者じゃねえんだ、もとは水戸の士《さむらい》よ。御三家の侍だから、こちとらとは格が違わあ。それで本名が山崎譲、うちの旦那の神尾様....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
思い過ごしをしてみますと、一藩だけの間の出来事ならばともかく、相手は他藩、ことに御三家の一なる名古屋藩の城下の者――たとえ士分の者でないとはいえ、相手は御三家の....
後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
居るが、髪の風が違いますぞ、これはお旗下か諸役人|衆の女中の結い方、御城中並びに御三家とも少しずつ区別があると申す事|故、其の道の者に鑑定致させたる処、よく出来....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして使用するかと思うと、御三家や御三卿のご連枝方と、膝組みで話をすることだって出来る――そういう人物であ....
剣侠」より 著者:国枝史郎
の膝の辺りを抑えた。 「あッ……膝の骨が砕けて居るわ」 やがて秋が訪れて来た。御三家の筆頭尾張家の城下、名古屋の町にも桜の葉などが風に誘われて散るようになった....