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御巡
「御巡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御巡の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
理、その来客と申すのは、誰あろう、時の帝の珍の皇子、当時筑紫路から出雲路にかけて
御巡遊中の小碓命様なのでございました。御随行の人数は凡そ五六十|人、いずれも命の....
「星座」より 著者:有島武郎
されて古い砥石《といし》のように彎曲《わんきょく》していた。時計のすぐ下には東北
御巡遊の節、岩倉具視《いわくらともみ》が書いたという木の額が古ぼけたままかかって....
「丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
んだのであろう」と純之進は格別問題にしなかった。 「さて明日からは、草深い田舎を
御巡検で、宿らしい宿は今宵が当分の御泊納め。どうか御ゆるりと」 庄屋達が既に主....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
きます。大勢の人たちもそれに連れてぞろぞろ行ってしまいました。 明治天皇の東北
御巡幸の時は、千住方面から御出発でした。広くもない往来は、朝の内から厳重な警戒で....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
た。 「いらぬ邪魔立て致して、御僧は何者じゃ」 「当行学院御院主、昨秋|来関東|
御巡錫中の故を以て、その留守を預かる院代玄長と申す者じゃ。邪魔立て致すとは何を暴....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に願った。 その年は木曾地方の人民にとって記念すべき年であった。帝には東山道の
御巡幸を仰せ出され、木曾路の御通過は来たる六月下旬の若葉のころと定められたからで....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
であった。 いよいよ、聖上行幸に相成りましたので、幹部の人たちは御迎えを致し、
御巡覧の間我々|平の審査員は休憩室の方へ追い出され、静粛にしておりました。 す....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
かに群集の一角が崩《くず》れました。 「酒井様のお見廻りがおいでになった、それ、
御巡邏隊《ごじゅんらたい》がおいでになった」 なるほどそこへ現われたのは、当時....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
くぐ》りの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行《い》んだげな。
御巡《おまわ》りさんか夜番でも見えたものであろう」と大《おおい》に泥棒の無謀を憫....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
へかくれていったと、やかましく噂《うわさ》された事もあったそうだ。お若い××様が
御巡幸の時、百代と二人ならんだ姿をお見詰めになって――たしかにお目にとまったのだ....
「望郷」より 著者:服部之総
たのである。 それにつけても私は思ってみるのであるが、明治十四年の巡幸は「東北
御巡幸」と称せられて、河野磐州《こうのばんしゅう》が指導する東北自由党の全地帯を....
「村の三代」より 著者:宮本百合子
に髣髴とするようである。 明治二十年ごろまでの世の中は面白くて、明治大帝の東北
御巡幸のとき久留米開墾の爺さんが、何の珍らしいものもないが、これは近来の出色の物....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
悟がついている筈であるが、又八はあれから今日に至るまで、幾度も、秀忠将軍の工事場
御巡視の機会には出会っていながら、槐の木の下に埋けてあるという鉄砲を掘り出して、....