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御座所
「御座所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御座所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
にそぞろ歩き遊ばされ、お供のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の
御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋の袂にたたずみて、お帰りを暫時相待とうか。 僧....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
入る雨もれをお受けになり、ご自分自身はしずくのおちないところをお見つけになって、
御座所を移し移ししておしのぎになりました。 それから三年の後に、再び山にのぼっ....
「旅愁」より 著者:横光利一
でもなかったと彼は初めて後悔した。
「ああ天地のもと、われら敬愛の心もて、御身の
御座所の前にかく平れ伏し、讃美の誠を捧げまつる。われら身をきよめ御身を敬いまつる....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ま》にはこのところを御動座あそばされるようにお願いでござりまする、二の丸に新たに
御座所の用意を仕り置きました故に、明日にもあれへ、御動座のほどお願い致したい儀で....
「ガリバー旅行記」より 著者:スウィフトジョナサン
ができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に
御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
もその際家族と別盃を酌んでいよいよ生死の別れをした。三津浜では藩の船番所を世子の
御座所となし、我々は町の人家を徴発して下宿した。これも今日の俳句生活と一つの関係....
「源氏物語」より 著者:紫式部
童女がいた。大人は唐衣、童女は袗も上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの
御座所になっているものとも見えないのに、白い羅を着て、手の上に氷の小さい一切れを....
「カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
ことじゃから、間違ったことを言われるはずがない。そなたの子供も今はきっと、神様の
御座所の前で遊び戯《たわむ》れながら、そなたのことを神様に祈っておることじゃろう....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
家も年に二度ぐらいはお成になるという定例でございます、即ち正面の高座敷が将軍家の
御座所でございまして、御老中、若年寄、寺社奉行、大目附、御勘定奉行、郡奉行、御代....
「三国志」より 著者:吉川英治
お案じなされておるが」 「さもあろう。では張飛。ご辺は甘夫人と糜竺を守って、君の
御座所まで送りとどけてくれ。それがしは、またすぐここから取って返して、なお糜夫人....
「三国志」より 著者:吉川英治
く宮中を守っていた。 かかるうちに、火は東華門から五鳳楼へ燃えてきたので、帝は
御座所を深宮に遷され、ひたすら成行きを見まもっておられた。 そのうち城外五里の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
士たちにも、武門の何かを、考えさせた事件だった。 「こんな例があっては物騒千万。
御座所ちかくに、白洲をおくのはよろしくない」 要路の声から、問注所を柳営外へ移....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いちどに灯を濡らして泣き乱れていた。 里内裏とはいえ、地域は広大だ。一ときの、
御座所のあたりは言語に絶する騒ぎだったが、しかし中門の外、まして外門の遠くへなど....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
壇が据えられてあった。そうして白木の卓子も置かれてあった。つい前日に摂政宮殿下の
御座所だったとのことであった。 そうして私たちの虔ましく取り囲んでいるこの卓子....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
行宮の御夢に、二人の童子が現われて楠の樹の下を指ざし、爰ばかりがせめて安らかなる
御座所と、御告げ申したという記事に接するごとに、いつも子ども心には、あの「ゆの木....