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「御後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
げん》を受くること屡々《しばしば》なりなど仰せられ、御改易のことについては、些の御後悔だに見えさせられず候。……徒然《つれづれ》の折には、村年寄僧侶などさえお手....
旧主人」より 著者:島崎藤村
は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋常《ただ》ではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもう堪《こら》えきれないという御様子で、突然《....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
ましょう」 數「違っては居らん」 梅「併しお四才になる者を御家督になされば、矢張御後見が附かなければなりません、それよりは矢張お下屋敷の御舎弟紋之丞様が御家督御....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
つけてないている、千三は涙が目にたまって玉顔を拝むことができなかった。 「御輿の御後に供奉する人はあれは北畠親房じゃ」 「えっ?」 千三は顔をあげた。 赤地....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
ているかも知れないのだ。 とにかく、一年にわたる「新世界巡礼」は、ここに諸君の御後援によってENDを全うするを得た。帰来僕は、一そう印象の沈澱するを待って、亜....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
三先生、その隣りのレバノン教会牧師福田錠二氏などが、その行商の最初の得意となって御後援下されて、この文士村の知名の方々へも御用聞きに伺いまして、それぞれお引立て....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
鑑三先生、その隣りのレバノン教会牧師福田錠治氏などが、その行商最初の得意となって御後援下されて、この文士村の知名の方々へも御用聞きに伺いまして、それぞれ御引立て....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
手には没交渉であった。四郎兵衛はもどかしそうにいった。 「お見受け申せば御大身の御後室様のようでござりますが、喧嘩のまん中へお越しなされて、何とかこのお捌きをお....
怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
原の本陣、古間内の表屋敷上段の間には、松平越後守光長が入り、奥座敷上段の間には、御後室高田殿が入られたのであった。 老女笹尾を筆頭としてお供の女中残らずが、黒....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
藩の人たちが御末家と呼ぶお家がありました。御親類つづきなのでしょうか、若い美しい御後室と幼い姫様とがお住いでした。綾子様、八重子様と申すのですが、皆おあや様、お....
式部小路」より 著者:泉鏡花
も、悪くも、背中に大蛇の刺青があって、白木屋で万引という題を出すと、同氏御裏方、御後室、いずれも鴨川家集の読人だから堪らない。ぞ、や、なり、かなかな、侍る、なん....
註文帳」より 著者:泉鏡花
お名前は出さぬが、と差配さんが謂わっしゃる。 その御大家は今|寡婦様じゃ、まず御後室というのかい。ところでその旦那様というのはしかるべきお侍、もうその頃は金モ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の間にもその反対者があり、特に後白河法皇がそれを御許容にならなかったので、法皇崩御後の初度の朝政において、始めてその目的を達することが出来た事情を詳述したのであ....
道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
自分にとって不思議でならぬのである。ことに彼が唯一の保護者とも申すべき称徳天皇崩御後までも、彼は自衛の道を講ずる事なく、晏然陵下に廬を結んでこれに仕え奉り、今に....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
せを畏む旨を答えた彼の手紙がある。「いまや女王陛下には、臣に下しおかれたる恩寵を御後悔遊ばさるやに拝するゆえをもって、所有するあらゆる土地を売り捨てて、陛下の御....