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御母
「御母〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御母の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
一路の光明を求め出でられ候よう祈りあげ候時下晩秋黄落しきりに候御自護あいなるべく
御母堂にもくれぐれもよろしく御伝えくださるべく候
一八九九年十月四日夜
星野....
「三人の双生児」より 著者:海野十三
お姉さまと申上げた方がよろしゅうございましょうか。とにかく同じ年の二月十九日に、
御母堂に当ります西村勝子様がお産み遊ばしたお二方のうち、珠枝さま――つまり奥さま....
「古狢」より 著者:泉鏡花
って、摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の、花御堂の、あかちゃんの
御母ぎみ――頂餅と華をささげたのに、香をたいて、それから記しはじめた。 昭和六(一九三一)年七月....
「唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
、抱いた腕を、ぐいと背中へ捲きましたが、 (お退きと云うに。――やあ、お道さんの
御母君、
御母堂、お記念の肉身と、衣類に対して失礼します、御許し下さい……御免。)....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
お案じ下さりょう事はない。かえって何かの悟を得ようと心嬉しいばかりでござる。が、
御母堂様は。」 「母はね、お爺様、寝ましたきり、食が細って困るんです。」 「南無....
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
はいうけれど、根は身の行いでござりますのう。)とじろりと二人を見ると、お京さん、
御母堂だよ、いいかい。怪我にも真似なんかなさんなよ。即時、好容色な頤を打つけるよ....
「縁結び」より 著者:泉鏡花
金はないが開けて入るように、と心着けたのに、雨戸は両方へ開いていた。お君は後に、
御母様がそうしておいたのだ、と言ったが、知らず堂守の思違いであったろう。 框が....
「死者の書」より 著者:折口信夫
を、あらかた石にしてしまった。その頃になって、天真宗豊祖父尊様がおかくれになり、
御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、....
「水の女」より 著者:折口信夫
へ白さく、……。又|詔命しむるは、「いかにして、日足しまつらむ。」答へ白さく、「
御母を取り、大|湯坐・若|湯坐定め(
御母を取り……湯坐に定めてと訓む方が正しいで....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
ら焼かれたとある。幸いにその四柱の御子達は、火中から飛び出されたと伝えているが、
御母君の末路は不明である。或いはその産屋の中で、後世所謂火定の終を遂げられたので....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
かざして暮らす日もなし 新待賢門院。後醍醐の妃。隠岐へお伴された。後村上天皇の
御母儀。後皇后に昇られ、正平十四年四月二十九日|賀名生で崩御。御年五十九。 ひき....
「古事記」より 著者:太安万侶
天下をお治めなさいました。この御世に淡路の役所を定めました。 神功皇后 ――
御母はシラギ人天の日矛の系統で、シラギのことを知つておられたのだろうという。――....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
府の下にもおりまして、両者の交通混淆も多い。皇室の御上について申さば、神功皇后の
御母方は、新羅の王子|天日槍の後だとあります。また桓武天皇の御生母なる高野皇太夫....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
れを差別したという事実はない。既に桓武天皇の御生母は百済氏の出であり、神功皇后の
御母方も新羅の天日槍の後裔だと言われている通りで、そのほかにも支那、朝鮮から帰化....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
がありましたが、実に敬服しました。穂庵百穂評も誠に手に入つたものとおもひました、
御母堂様御逝去後御さびしきことと存じます、」と書いてある。それから、昭和十五年の....