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「御用船〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

御用船の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
船医の立場」より 著者:菊池寛
ざその場合になると、船頭|連《れん》は皆しりごみした。薪水《しんすい》を積み込む御用船に乗り込んで、黒船に近づこうとしたけれども、それも毎船|与力《よりき》が乗....
自叙伝」より 著者:大杉栄
輪という町に引越した。斎藤という洋服屋の裏の小さな家だった。そして父がまだ宇品で御用船の出帆を待っている間に、母に男の子が生れた。父から「イサムトナヲツケヨ」と....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、最初から従軍新聞記者と名乗って渡航したのでした。 これらの従軍記者は宇品から御用船に乗り込んで、朝鮮の釜山または仁川に送られたのですが、前にもいう通り、何分....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
と、暫くあわずにいた。その間の行程を、おたがいに話しあった。 彼等は、門司から御用船に乗る際、同様にビラを拾っていた。それを胸のポケットへ、畳んで、お守りのよ....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
いち早く東洋艦隊を急派して、医療具、薬品等を横浜へはこんで来ました。なお数せきの御用船で食糧や、何千人を入れ得るテント病院を寄そう金を得るために花を売り出したと....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
スト》の大船が横たわっていることであります。その当時の漁船や、番船や、また幕府の御用船なども、その大きな黒船の前では、巨人の周囲を取巻く小児のようにしか見えませ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
五 これより先、海鹿島《あじかじま》から伊勢路の浦へ、上陸した御用船の一行がありました。 これも役人は役人だが、ただの役人ではない。軽装して....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
もん》打った船印が立てられてあることによって、浦の民が安心しました。 御領主の御用船とあってみれば、文句はないのですが、駒井がそうして無断に仙台家の船印を濫用....
藤九郎の島」より 著者:久生十蘭
いた。七月上旬、青ヶ島に着き、そこから八丈島に送られ、流人御免《るにんごめん》の御用船に乗せられて、九月上旬、命|恙《つつがな》く江戸の土を踏んだ。....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
っかけられ、不意をくらって、四人の役人は船頭もろとも、もろに川なかへ投げだされ、御用船のほうは上り下りの荷足《にたり》の狭間《はざま》へはさまって退《の》くも引....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
に、奇妙なことが始まっていた。 船極印《ふなごくいん》を調べると、まぎれもない御用船《ごようぶね》。 安政三年|相州三浦三崎《そうしゅうみうらみさき》で船大....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
込め、次に鳳輦を彦根城に遷し奉る計画であって、既に城を修繕し、領内湖浜の村々へは御用船数十艘を命じ、かつ領内米原において大屋根船一艘の製造に着手している―― ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
は大鳥公使の談判から原田重吉の平壌玄武門先登を脚色したもので、団十郎は大鳥公使と御用船の水夫と原田重吉の父との三役に扮し、菊五郎は原田重吉に扮したが、初めから仕....