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御目見得
「御目見得〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御目見得の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白髪小僧」より 著者:杉山萠円
ながら、自分で破って、あられもない国々の賤《いや》しい女共と一所に、一週間の後に
御目見得に出せとは、まあ何という浅ましい仰せであろうと、余りの悲しさ情なさに紅矢....
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
いがわたくしの果報よ。忘れもせぬこの三月、窟詣での下向路、桂谷の川上で、はじめて
御目見得をいたしました。 頼家 おお、その時そちの名を問えば、川の名とおなじ桂と....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ゃな」 「そこだよ」 「よく、これで納まったな」 「納まらないのだ、これで近藤は
御目見得格《おめみえかく》以上の役人となり、大久保なにがしという名をも下され、土....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
裁許掛見習として、斉彬の近くへ出るのと、斉彬の若者好きとからで、小太郎は無役の、
御目見得以下ではあったが、時々、斉彬に、拝謁することができた。
斉彬は、時々、....
「人形芝居に関するノオト」より 著者:竹内勝太郎
が復興され、再生されてピッコリ座となり、一九二八年の冬のシーズンに華々しく巴里に
御目見得《デヴイユ》した。 之れはよく統制された組織と熟達した技術とを持って居....
「印度の詩人」より 著者:国枝史郎
てタゴールを日本中へ紹介したのは大阪朝日新聞社で、天王寺の公会堂で、タゴールの初
御目見得と第一声とを発表した。その時わたしは同社の若い記者として、時の社会部長の....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、三代目関三十郎死す、六十六歳。 ○一月、中村翫雀大阪より上京し、守田座における
御目見得狂言の三浦之助、好評。 ○七月、守田座にて「亀山の仇討」を開演中、石井兵....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
共 本丸迄 早々|被成御座(候)趣 驚目申候 拙者も石にあたり すねたちかね申故
御目見得にも被仕不仕猶重て 可得尊意候 恐惶謹言 辰刻玄信 宮本武蔵 有左衛門....