»
御祖
「御祖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御祖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「子供の病気」より 著者:芥川竜之介
だのお腹《なか》下《くだ》しなんですよ。あしたはきっと熱が下《さが》りますよ」「
御祖師様《おそしさま》の御利益《ごりやく》ででしょう?」妻は母をひやかした。しか....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いようなことが時々ありました」 赤坂|裏伝馬町の常磐津の女師匠文字春が堀の内の
御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついたのは、弘....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
かった。お葉は折柄の雨を凌ぐ為に、有合う獣の皮を頭から引被って、口には日頃信ずる
御祖師様の題目を唱えながら、跫音を偸んで忍び出た。 それから一時間も過ぎた後に....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
嘗の夜の忌みの模様は、おなじころのおなじ東の事を伝えた常陸風土記にも見えている。
御祖の神すなわち、母神が、地に降って、姉なる、富士に宿を頼むと、今晩は新嘗ですか....
「死者の書」より 著者:折口信夫
は、水渋臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶いません。天の神|高天の大
御祖教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣....
「水の女」より 著者:折口信夫
ひ給ひしかば、爾時に「御津」と申しき。その時|何処を然言ふと問ひ給ひしかば、即、
御祖の前を立去於坐して、石川渡り、阪の上に至り留り、此処と申しき。その時、其津の....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
する輩は、常にその穢を繰り返している事であるから、特に触穢をやかましく云った賀茂
御祖神社では、その付近に屠者の住むを禁じたとの事もあったけれども、それも単に
御祖....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
宮摂社の中に大水上神の御子神を祭ったものが式内七社式外九社もあり、また別に大水上
御祖神というのも出ている。その族類この地方において余程繁延しておったものと思われ....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
社には、近づき難いものとされておった。延喜式臨時祭の際に、 。 とある。これは鴨
御祖社すなわち下賀茂神社が、賀茂川の畔にあって、当時濫僧屠者の輩が、いわゆる河原....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のには驚かざるをえぬ。 「延喜式」に「濫僧屠者」の語があり、下賀茂すなわち賀茂|
御祖神社の付近に、その居住を禁止している。
御祖神社は賀茂川と高野川との会流の地に....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
点に達していたが、その中天智天皇九年以前の物は、僅かに釈迦・薬師の両本尊と、片岡
御祖命なる人の寄附に係る金銅幡との、ただ三点あるのみであった。その後和銅初年以前....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
の濫僧とは、そもそもいかなるものであろう。そして何故にそれが四至の外といえども鴨
御祖社すなわち下鴨神社の南辺には住まわせなかったものであろう。まずそれから考えて....
「少年時代」より 著者:幸田露伴
腰高が大神宮様へ二つ、お仏器が荒神様へ一つ、鬼子母神様と摩利支天様とへ各一つ宛、
御祖師様へ五つ、家廟へは日によって違うが、それだけは毎日欠かさず御茶を供えて、そ....
「貧乏」より 著者:幸田露伴
お互に少し中り屋さんにならねばならん。 「誰だってそうおもわねえものは無えんだ、
御祖師様でも頼みなせえ。 「からかいなさるな、罰が当っているほうだ。 「ハハハ、....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
う退屈は、恋の病共々四百四病のほかのものに違いない。一木一草そよ吹く風すら、遠つ
御祖の昔思い偲ばれて、さだめしわが退屈男も心明るみ、恋しさ慕かしさ十倍であろうと....