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御金
「御金〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御金の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「杜子春」より 著者:芥川竜之介
がら、笛や琴を節面白く奏しているという景色なのです。 しかしいくら大金持でも、
御金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、一年二年と経つ内には、だん....
「野呂松人形」より 著者:芥川竜之介
う。野呂松の略語なり」とある。昔は蔵前《くらまえ》の札差《ふださし》とか諸大名の
御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では、これ....
「路上」より 著者:芥川竜之介
す。おまけに僕の行く用向きと云うのが、あの精養軒《せいようけん》の音楽会の切符の
御金を貰いに行くんですからね。」
藤沢はこう云いながら、手近の帳場机にある紙表....
「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:井原西鶴
つけたんですよ、だから、御つれもないんだから誰も知る人もありませんから殺してあの
御金をおとりなさいよ」とささやいたので思いがけない悪心が起ったので山刀をさし枕槍....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、江戸城本丸の
御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この
御金蔵破りの一件は、東京になっ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
人の申し立てによると、自分は中国なにがし藩の伊沢千右衛門という者で、父の兵太夫は
御金蔵番を勤めていた。然るに或る夜、その金蔵を破って金箱をかかえ出した者がある。....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
蝋燭』というお話をしたことがありましょう。その時に申し上げたと思いますが、江戸の
御金蔵破り……。あの一件は安政二年三月六日の夜のことで、藤岡藤十郎と野州無宿の富....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
は残念、ひとつ其奴を探ってくれ」 「かしこまりましてございます」 「それは然うと
御金蔵には、多額の黄金が有るそうだな?」 殿と呼ばれる四十男は、此処でキラキラ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
列が数繁くなるや、忽ち右の「挨拶」が御陣屋の玄関に山をなして、半年とたたぬうちに
御金蔵が七戸前程殖えました。しかし、人窮すれば智慧が湧く、言わば迷惑なそのお墨付....
「家」より 著者:島崎藤村
た姿が映っていた。 「真実に、橋本さんは御羨しい御身分ですねえ――御国の方からは
御金を取寄せて、こうしていくらでも遊んでいらっしゃられるなんて」 すこし長く居....
「家」より 著者:島崎藤村
ゃ有りませんか。今日は駄目だ、紙入には一文も入ってやしない、と私が言いますとネ、
御金のことなんぞ言ってるんじゃ有りませんよ、私がどうかします、一緒にいらしって下....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
献金のことを考えた。徳川幕府あって以来いまだかつて聞いたこともないような、公儀の
御金蔵がすでにからっぽになっているという内々の取り沙汰なぞが、その時、胸に浮かん....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の上は、前条のおもむき深く御憐察下し置かれ、御時節柄恐れ多きお願いには候えども、
御金二千両拝借仰せ付けられたく、御返上の儀も当|寅年より向こう二十か年賦済みにお....
「悶悶日記」より 著者:太宰治
月 日。 姉の手紙。 「只今、金二十円送りましたから受け取って下さい。何時も
御金のさいそくで私もほんとに困って居ります。母にも言うにゆわれないし、私の所から....
「だだをこねる」より 著者:辻潤
ているほか手がないのだ。了簡がケチ臭く肝ッ玉が山椒ツブみたいで力もなくしたがって
御金もなく女の子にはいたってふられがちに出来あがっている――まったくわれながらア....