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御霊
「御霊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
御霊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
と口にいったら、芝のあの三縁山へお成りになって、そこに祭られてある台徳院殿さまの
御霊屋《みたまや》に、ぺこりとひとつ将軍家がおつむりをお下げになるだけのことです....
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
この樹立の中にまいりますのを、大変お嫌いになりまして、毎朝|行《ぎょう》をなさる
御霊《みたま》所の中にも、私だけは穢《けが》れたものとして入れようとはなさいませ....
「わが町」より 著者:織田作之助
だけに一そう凄みがあった。 ところが、それから半月ばかり経ったある夜のことだ。
御霊の文学座へ太夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、た....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
た。 偶然にも平野町へ来ると六の日とみえて、ここも夜店で賑わっていた。平野町は
御霊神社をめぐる古来有名な夜店である。新旧二つの夜店が十文字に交叉するということ....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
角して居る中に、指導役のお爺さんから御注意がありました。―― 『現界ではいよいよ
御霊鎮めの儀に取りかかった。そなたはすぐにその準備にかかるように……。』 私の....
「水の女」より 著者:折口信夫
と、鎮花祭の後すぐに続く卯月八日の花祭り、五月に入っての端午の節供や田植えから、
御霊・祇園の両祭会・夏神楽までも籠めて、最後に大祓え・盂蘭盆までに跨っている。夏....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
行って一月余りも経ちました。其の時、全然同じ一手段で夫れも立派な旗本が一人、芝の
御霊屋の華表側で切り仆されたではありませんか。 そうして矢張り切手の侍は何処へ....
「多神教」より 著者:泉鏡花
は思いません。 神職 や、この邪を、この汚を、おとりいれにあい成りまするか。その
御霊、御魂、御神体は、いかなる、いずれより、天降らせます。…… 媛神 石垣を堅め....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
なかったらしい。 お前が大阪から姿を消してしまってから二年ばかり経ったある日、
御霊神社の前を歩いていると、薄汚い男がチラシをくれようとした。 どうせ文楽の広....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
少女の玩弄物に遺されたのではあるまいか。その流行当時にこれを岐神といい、あるいは
御霊といったというのは、志多羅神のはやった時に、あるいはこれを小藺笠神といい、あ....
「わが町」より 著者:織田作之助
だけに一そう凄みがあった。 ところが、それから半月ばかり経ったある夜のことだ。
御霊の文楽座へ大夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、た....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
、仏教家並びに両部神道家の忌むところとなった為である。されば一方では、武家が祇園
御霊会の神輿を舁かしめ、堂上家がエタに飲料水の井戸を掘らしめて、あえて不思議とし....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
える「穢多」は井戸掘り人足であった。また貞治四年「師茂記」に見える「穢多」は祇園
御霊会の駕輿丁であった。文安の「※嚢抄」に見える「エッタ」は河原の者と云っておっ....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
た事が知られるのである。「師茂記」貞治四年六月十四日の条に、武家の沙汰として祇園
御霊会の神輿を穢多に舁かしめたとある穢多は、無論同社の犬神人たる坂の者を云ったも....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
く所以であると信ずるからである。同君の所説は大要次の通りである。 京都には上の
御霊の鳥居の脇に唱門師村という一廓があって、宝永二年の序のある『山城名勝志』には....